息栖神社(いきすじんじゃ)

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更新日:
 2025年8月5日



◎息栖神社(いきすじんじゃ)(2022年5月22日)
 「息栖神社(いきすじんじゃ)」は茨城県神栖市息栖にある神社です。鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社と呼ばれ、古くから信仰を集めてきた神社です。息栖神社の創祀は応神天皇の時代(4世紀後半〜5世紀初頭頃?)と伝えられているそうです。久那斗神(くなどのかみ)を主神とし、相殿に天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ)と住吉三神を祀っています。
 天鳥船神は交通守護の霊格の高い神様で、鹿島大神の御先導をつとめられた神様とされているそうです。このことから神代時代に鹿島、香取の御祭神に従って東国に至り、鹿島、香取両神宮が其々、その台地に鎮座し、久那斗神と天乃鳥船神は海辺の日川(現在の神栖市日川)に姿を留め、やがて応神朝になって神社として祀られたと考えられているそうです。
 息栖神社の旧鎮座地、日川は現在の社地から東南東に7km、利根川を銚子港から21kmほど遡った平地にあります。現在は「石塚開発の碑」の横に看板が立っているだけで、残念ながら息栖神社の跡地を示す小祠や石碑などはないそうです。
 799年(延暦18年)に常陸の国を津波が襲い、岐神を祀る社が流失したそうです。この時の津波は鹿嶋、那珂、久慈、多珂四郡に朝から晩まで15回も潮が満ち引きしたそうです。また、満潮時には109mも内陸に潮が迫り、干潮時にはかなりの距離まで潮が引いたと平安時代初期に編纂された勅撰史書である「日本後紀(にほんこうき、840年(承和7年)に完成)」に記載されているそうです。
 このため8年後の807年(大同2年)に平城天皇の勅命を受けた藤原内麻呂によって現在地の息息栖(現在の神栖市息栖)へ遷座されたそうです。
 その後、社殿は1704年(宝永3年)、1723年(享保8年)、1848年(弘化4年)と数回に渡って建替えられてきました。しかし、1960年(昭和35年)10月に焼失してしまいました。そのため1963年(昭和38年)5月に新たに社殿が建てられました。境内には1960年(昭和35年)以前の社殿に用いられていた楚石が残されています。
 常陸利根川沿いにある一の鳥居の両脇には、小さな鳥居の建てられた2つの四角い井戸「忍潮井(おしおい)」があります。それぞれの井戸の中を覗くと、うっすらと瓶(かめ)が見え、白御影石で銚子の形をしているものは「男瓶(おがめ)」、やや小ぶりで土器の形をしているものは「女瓶(めがめ)」と呼ばれています。

・一の鳥居





・忍潮井(おしおい)



・男瓶(おがめ)



・女瓶(めがめ)



・二の鳥居









・稲荷神社



















・手水舎





・神門







・御衣黄(ぎょいこう)



・力石(ちからいし)





・社殿

















・御神木





・楚石









・息栖神社(いきすじんじゃ)
 住所:茨城県神栖市息栖2882
 電話:0299-92-2300
 定休日:無
 料金:無
 駐車場:有
 アクセス:JR、総武線、小見川駅から車で約10分