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更新日:
2025年8月5日
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◎小倉祇園 八坂神社(2022年5月22日)
「小倉祇園八坂神社(こくらぎおんやさかじんじゃ)」は福岡県北九州市の小倉城の中にある神社です。関が原の合戦で徳川家康に従い、多大な勲功のあった細川越中守忠興は1601年(慶長6年)、豊前一国と豊後二郡、合わせて39万9,000石の大名として入国しました。細川忠興が1616年(元和2年)の秋、勝山城(小倉城)の西方にある愛宕山にて鷹狩に行った時、山の頂上で一基の苔むした石の祠を見つけたそうです。そこで中を覗こうとして杖でこじ開けようとしたところ、出て来た蜂に刺されたそうです。細川忠興は痛みに苦しみ、家臣達が城につれ帰り、医師の手厚い看護を受けたものの、失明同然の状態になったそうです。
細川忠興が家臣に命じて祠の由緒を調べさせたところ、須佐之男命を祀ってあったことが分かったそうです。細川忠興は神様に対して非礼を働いた神罰だと深く反省したそうです。そこで、御祭神が細川忠興の生国である京都の祇園社と同じであったことから、1617年(元和3年)2月、城北の鋳物師町に南殿、北殿のある祇園社の建設を始めたそうです。
1617年(元和3年)9月に竣工した南殿には愛宕山(不動山)の祇園社を遷宮し、篠崎八幡宮の宮司、川江左衛門橘種茂を大宮司として奉職させ、通称「口の宮」と呼んだそうです。北殿には当時、三本松(現、旦過市場周辺)に鎮祭されていた祇園社を遷し、蒲生八幡の宮司、高山孫太夫定直を大宮司として奉職させ、「奥の宮」と呼んだそうです。当時は「小倉祇園社感応院」と称していたそうです。本殿は1つに見えますが、中には2つの祇園様が祀られているそうです。2つの祇園様を一緒に祀っている神社は全国的にも珍しいそうです。
そして同年9月11日に眼病平癒の「願解」の祭典を盛大に催したそうです。この後、細川忠興の目も快癒したそうです。ちなみに、この時の祭典は主として「能」を奉祭したことから、秋祭り「神事能」として大正末期まで継続されたそうです。
1632年(寛永9年)12月に小笠原忠真が入府し、新しい藩主となってからも、そのまま小倉城の守護神として尊崇され、あわせて領内の総鎮守として大切にされたそうです。
1868年(明治元年)に明治政府が発した神仏分離令によって、「祇園社」と呼ばれていた名称が「八坂神社」に改められました。
1934年(昭和9年)7月8日、鉄道開通や工場進出によって鋳物師町の立地が煙害を受けるようになったことから小倉城内の現在地に移転しました。









・小倉祇園 八坂神社
住所:福岡県北九州市小倉北区城内2-2
電話:093-561-0753
営業時間:
定休日:無
料金:無
駐車場:
アクセス:JR、小倉駅から徒歩約15分
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