福徳神社、福徳稲荷、芽吹稲荷

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更新日:
 2025年8月5日



◎福徳神社(2022年5月22日)
 東京のど真ん中、日本橋にあるショッピングスポット「コレド室町」のすぐ北隣りにある神社です。真新しい赤い鳥居が目立ちますが、意外にも古い歴史を持つ神社です。福徳稲荷(ふくとくいなり)、芽吹稲荷(めぶきいなり)とも呼ばれるそうです。
 いつ創建されたか、詳細は不明なようですが、古くからの言い伝えによると清和天皇の時代、貞観年間(859年〜877年)には鎮座していたと云われているそうです。鎮座している日本橋室町二丁目付近は、昔は武蔵国豊島郡福徳村(あるいは豊島郡野口村福徳)と呼ばれ、農家や漁師が点在する田舎だったそうです。古くは稲荷の祠と呼ばれていたそうですが、後に、村名から「福徳稲荷」と呼ばれるようになったそうです。
 言い伝えによると源義家、太田道灌など、武将の崇敬も厚かったそうです。徳川家康は1590年(天正18年)8月に初めて参詣し、その後も数度、参詣しているそうです。
 江戸時代、二代将軍、徳川秀忠が1614年(慶長19年)の正月28日に参詣した際、椚(くぬぎ)の皮付き鳥居に、春の若芽の萌え出でたのを見て「芽吹稲荷」と名付けたとされているそうです。また1619年(元和5年)2月に城内の弁天宮を福徳稲荷に合祀する際、徳川秀忠自ら神霊を納め、大和錦の幌を奉納し、さらに境内地を3反33坪と定めたそうです。当時、社殿が広く、境内地には樹木が生い茂り、繁栄したそうです。地元の人は神社の森を「稲荷の森」、その森の一端に建てられていた里程標(石造一里塚)を「稲荷の一里塚」と呼んで親しんでいたそうです。しかし1657年(明暦3年)正月8日の大地震によって一里塚は崩壊してしまったそうです。
 明治維新後は境内地の上地を命じられ、40余坪の境内地となったそうです。また、1847年(明治7年)8月9日、社号が「福徳稲荷」から「福徳神社」に変えられたそうです。
 さらに関東大震災後の区画整理によって日本橋区室町2丁目4番地に遷座させられたそうです。さらに1973年(昭和48)年1月には中央区日本橋室町2丁目4番14号に遷座させられたそうです。そして2006年(平成18年)、日本橋室町の再開発による建て替えに伴って遷座させられ、2014年(平成26年)に現在の新社殿が竣工し、現在地に遷座したそうです。ビルの谷間にありながら、緑もあって落ち着ける空間になっています。









・薬祖神社







・福徳神社
 住所:東京都中央区日本橋室町2-4-14
 電話:03-3276-3550
 営業時間:
 定休日:無
 料金:無
 駐車場:
 アクセス:東京メトロ、三越前駅、A6番出口より徒歩約1分