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更新日:
2022年5月25日
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◎旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)(2022年5月22日)
「旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)」は、東京都北区西ケ原にある都立庭園です。明治初年頃、この地に紀州藩士、伊達宗広の六男で政治家の陸奥宗光が邸宅を建てたそうです。陸奥宗光は古くから親交のあった古河市兵衛に実子がいないことから、次男の潤吉を養子に与える約束をしたそうです。陸奥潤吉は1870年(明治3年)、東京に生まれ、14歳の時、古河家に入籍しました。潤吉は18歳の時、コーネル大学に留学し、帰国後、古河市兵衛の家業を手伝ったそうです。
1903年(明治36年)4月、古河市兵衛が72歳で没した後、1905年(明治38年)3月に潤吉は古河鉱業を設立し、社長に就任しました。病弱だった潤吉は、健康回復を図るため転地療養するなど努めたものの、1905年(明治38年)12月に西ケ原邸において35歳で亡くなりました。すると1887年(明治20年)、古河市兵衛が56歳の時、側室せいとの間に生まれた初の実子、虎之助は1903年(明治36年)から米国、コロンビア大学に留学していましたが、潤吉が死去したため古河家の当主となり、古河鉱業の社長に赴任しました。
第一次世界大戦(1914年(大正3年)7月28日〜1918年(大正7年)11月11日)の影響で社業は急成長し、海外取引も順調に伸びたそうです。この功績もあり、1915年(大正4年)12月、虎之助は弱冠27歳で男爵を授けられました。そして1917年(大正6年)6月に東京古河銀行を発足させ、「古河財閥」として経済界に躍り出ました。
1914年(大正3年)頃から、財閥は競って豪邸を建てたそうです。そこで虎之助も1919年(大正8年)に自身の邸宅として現在の形(洋館、西洋庭園、日本庭園)を整えたそうです。建物の設計は当時、評判だった建築家、英国人のジョサイア・コンドルに委託しました。コンドルは、それまでに上野博物館(1882年)、鹿鳴館(1883年)、岩崎邸(1896年)、三井倶楽部(1913年)などを手掛けていました。1917年(大正6年)5月に古河邸が竣工すると、京都の庭匠植治こと小川治兵衛に依頼して庭園の作庭にかかり、1917年秋頃に入居したそうです。入居後も庭園には手が加えられ、1919年(大正8年)に完成しました。コンドルの設計による本邸と植治の作庭による庭園は、明治大正期建築の代表的な傑作であり、今日においても当時のままに保存されている貴重な文化遺産です。
太平洋戦争末期、近くの滝野川小学校に東部軍管区管轄下の九州九師団の一部が駐留したことから、古河邸は聯隊本部の将校宿舎として接収されたそうです。終戦後、戦勝国である連合軍将兵が進駐を始め、占領政策を実行した際、財閥家族と指定され、1946年(昭和21年)3月に進駐軍に接収され、英国大使館の武官独身宿舎として使われました。
1947年(昭和22年)、財産税徴集と虎之助の遺産相続税未納の徴収指令が出され、虎之助は資産のほとんどを処分して納入しました。虎之助は1947年年7月、西ケ原邸の資産を物納として大蔵省に収納し、その後、西ケ原邸は関東財務局の所管となりました。1952年(昭和27年)4月、西ケ原邸は接収解除となり、大蔵省に返還されました。古河家が払い下げの契約手続に入ったものの、期限内に契約保証金を支払うことができず、1953年(昭和28年)4月、払下げ契約は打ち切られました。
接収が解除された後、地元住民は別の動きをしています。1952年(昭和27年)9月、北区長、高木惣六と地元少年愛護婦人会などによる「開放促進期成会」が結成され、緑豊かな旧古河家の1万坪を都市公園として開放するよう要望が出されました。
東京都は1953年(昭和28年)2月、大蔵省に対して、旧古河家の文化財的価値から都市公園用地として無償使用方貸付申請を行いました。1953年6月、北区全区民大会が飛鳥山公園で開催されると、東京都と大蔵省に対して都市公園として開放するように陳情が開始されました。
これらの市民、東京都の動きと古河家への払い下げが実現しなかったことから、大蔵省は1955年(昭和30年)4月20日、東京都に貸付けることに決定し、東京都と関東財務局の間で使用貸借契約が締結されました。
しかしながら洋館などの建物は、その後、約30年の間放置されたままで「お化け屋敷」と言われるほど荒廃が進んだそうです。シャンデリアは落ち、ガラスは割られ、土足で人が入り室内で焚き火をした形跡まであったそうです。1981年刊行の北村信正「旧古河庭園」には、洋館は「きづたに覆われている」とあり、蔦に覆われた洋館の写真が掲載されているそうです。1982年(昭和57年)に東京都名勝の指定を受けると、財団法人大谷美術館が東京都の助成金を得て1983年(昭和58年)から1989年(平成元年)まで7年をかけて修復工事を行ない、現在の状態に復元されました。
2006年(平成18年)には、大正時代初期の形式を留める庭園が評価され、国の名勝に指定されました。洋風庭園には約100種、200株のバラが咲き、春と秋にはバラの見頃に合わせて、バラフェスティバルが開催されています。








・旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)
住所:東京都北区西ヶ原1-27-39
電話:03-3910-0394
営業時間:9時〜17時
定休日:12月29日〜翌年1月1日
駐車場:無
アクセス:JR、京浜東北線、上中里駅から徒歩約7分
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