日本橋(にほんばし)

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更新日:
 2025年8月5日



◎日本橋(にほんばし)(2022年5月22日)
 「日本橋(にほんばし)」は地名としても存在します。この場合は東京都中央区の町名ですが、ここでは「橋」の「日本橋」についてまとめます。
 「日本橋」は、東京都中央区の日本橋川に架かる橋です。日本橋川は東京都千代田区および中央区を流れる一級河川で神田川から分派し、下流側で隅田川に合流している全長約4.84km の河川です。この日本橋川にかかる「日本橋」は、元々は江戸時代初期の1603年(慶長8年)3月3日(1603年4月14日)、徳川家康が江戸で最初に町割りを行なった時、この場所にあった川に架けられた木造の橋で、この時、「日本橋」と名付けられたそうです。この名称が一般化した結果、橋の下に流れている川の名称を「日本橋川」としたそうです。
 「日本橋」と言う名称になった理由は不明だそうです。日本国内中の人足が集まって架けられたからとか、朝日が東海から昇るのを眺められたからとか、2本の木を渡した粗末な橋「二本橋」が最初だったからとか、諸説あるようですが、いつからか「日本橋」と呼ばれるようになったそうです。
 翌1604年(慶長9年)に江戸幕府が日本橋を起点にして各街道に一里塚を築かせるように指示し、日本橋を基点として五街道が整備されました。橋のたもとの日本橋川沿いには活気のある魚市場が立ち並び、周辺に様々な問屋が軒を連ねるなど、江戸随一の繁華な場所だったそうです。
 1618年(元和4年)には老朽化に伴う最初の架け替えが行われたそうです。その後は火事によって何度も焼け落ちているそうです。1657年(明暦3年)の明暦の大火による最初の焼失に始まり、幕末までに日本橋は10回も焼け(全焼8回、半焼2回)、そのたびに再建されたそうです。
 明治時代になると1872年(明治5年)に費用は日本橋魚河岸の魚問屋組合が負担して木造橋として最後の改架がされたそうです。1885年(明治18年)2月24日、江戸時代の五街道の起点を継承し、国内すべての国道の起点となりました。
 1911年(明治44年)4月3日、現在まで続く石造二連アーチ橋が架けられました。橋の長さは49m、幅27.3mで、設計は東京市橋梁課長の樺島正義と主任技師の米本晋一だそうです。路面電車(後の都電)を通すことが決まっていたことから、路面はわずかにアーチを描き、橋脚と橋台は山口県産の名石、側面は真壁石、アーチ部分と道路の表面は稲田石を使っているそうです。最も荷重の掛かる両端がコンクリートで、さほど荷重の掛からない中央部分が煉瓦で、推定寿命は1000年程度とされているそうです。
 一方、橋の装飾は建築家の妻木頼黄にデザインを委嘱したそうです。青銅製の麒麟像を含む装飾柱の柱の模様には一里塚を表す松や榎木が取り入れられています。橋の両端にある獅子像は東京市の紋章を持っています(この紋章は東京都の紋章として現在も使用されています)。
 1999年(平成11年)5月13日に国の重要文化財(建造物)に指定されています。この日本橋の存在から周辺地域が日本橋と呼ばれるようになりました。
 ちなみに橋柱の銘板にある「日本橋」の文字は第15代将軍、徳川慶喜の揮毫です。



 大きく「日本橋」って書いてありますが、この看板が貼ってあるのは首都高速道路です。日本橋は、その下の道路(橋)です。



 この「日本橋」の文字は、第15代将軍、徳川慶喜が書いたものです。













 















・日本橋(にほんばし)
 住所:東京都中央区日本橋室町1丁目
 アクセス:東京メトロ、日本橋駅から徒歩約3分