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更新日:
2012年10月3日
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◎増上寺(2012年9月15日)
増上寺(ぞうじょうじ)は、東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の寺院です。浄土宗の七大本山の一つとされており、山号は三縁山。三縁山広度院増上寺(さんえんざん・こうどいん・ぞうじょうじ)と称されています。
もともとは空海の弟子、宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町、紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だそうです。その後、室町時代の明徳4年(1393年)、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)上人が真言宗から浄土宗に改宗し、浄土宗正統根本念仏道場として創建したそうです。このため浄土宗では聖聡を開基としているようです。
1470年(文明2年)には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与していたそうです。
中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないようですが、通説では1590年(天正18年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応(げんよぞんのう)上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったとされています。
貝塚から、一時、日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、1598年(慶長3年)、家康によって現在の芝に移されました。風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられています。
江戸時代、増上寺は徳川家の菩提寺として隆盛の極みに達しました。全国の浄土宗の宗務を統べる総録所が置かれたのをはじめ、関東十八檀林(だんりん)の筆頭、主座をつとめるなど、京都にある浄土宗祖山・知恩院に並ぶ位置を占めました。檀林とは僧侶養成のための修行および学問所で、当時の増上寺には、常時三千人もの修行僧がいたといわれています。寺所有の領地(寺領)は一万余石。二十五万坪の境内には、坊中寺院四十八、学寮百数十軒が立ち並び、「寺格百万石」とうたわれていました。
明治になると境内地が召し上げられ、境内の広範囲が芝公園となりました。また、新政府の命令により半官半民の神仏共同教導職養成機関である大教院の本部となり、大教院神殿が置かれ、神官の養成機関が置かれました。さらに1873年(明治6年)と1909年(明治42年)の二度に渡って大火に会い、大殿他貴重な堂宇が焼失しました。
大正期には焼失した大殿の再建も成り、そのほかの堂宇の整備、復興も着々と進展していきましたが、太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟、五重塔をはじめとした遺構を失う大きな被害を受けました。終戦後、1952年(昭和27年)には仮本堂を設置、また1971年(昭和46年)から4年の歳月と35億円を費やして、壮麗な新大殿を建立しました。東京タワーの建設時には、増上寺は墓地の一部を土地として提供しています。
1989年(平成元年)4月には開山酉誉上人550年遠忌を記念して、開山堂(慈雲閣)を再建しました。さらに法然上人800年御忌を記念して2009年(平成21年)に圓光大師堂と学寮、翌2010年(平成22年)に新しく安国殿が建立されました。現在、焼失をまぬがれた三解脱門や黒門など古くからの建造物をはじめ、大殿、安国殿、圓光大師堂、光摂殿、鐘楼、経蔵、慈雲閣等の堂宇が、1万6,000坪の境内に立ち並んでいます。また、増上寺には徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られています。


・増上寺
住所:東京都港区芝公園4-7-35
電話:03-3432-1431
営業時間:9〜17時
定休日:無
アクセス:都営地下鉄、三田線、御成門駅より徒歩3分
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