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更新日:
2021年6月6日
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◎円徳寺(2019年11月11日)
岐阜県岐阜市にある浄土真宗本願寺派の寺院です。岐阜城主であった織田信長、父の信秀や孫の秀信(三法師)ゆかりの寺で、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。
浄泉坊は、1183年(寿永2年)、比叡山延暦寺の僧、寂円により天台宗の寺院、法泉寺として現在の岐阜市長旗に開創されました。2世寂世が親鸞に帰依して浄土真宗の寺となり、寺号を常泉坊に改めました。
1547年(天文16年)に織田信秀(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗し、犬山城主、織田信康ら5,000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔うための塚が寺内に設けられました。この塚は1776年(安永5年)、安八郡神戸村善学院僧金龍が、織田塚を円徳寺境内に転葬し、塚上に碑を立てたと伝えられているそうです。この塚は現在でも残っており、岐阜市の文化財に指定されています。
1564年(永禄7年)に織田信長が稲葉城に入城すると、その本陣の跡(いもあらいの里)四町四方の土地を寄進され、現在の地に移りました。この時、織田信長が寄進したといわれる梵鐘は、寺宝として残されています。
1567年(永禄10年)と1568年(永禄11年)に織田信長が円徳寺(当時は浄泉坊)門前に「楽市場・定」という札を立て、楽市楽座の制札を発給しました。その後、岐阜城主となった池田輝政も楽市楽座の制札を掲げ、織田信長の制札と共に1993年(平成5年)に国の重要文化財に指定されています。
1600年(慶長5年)、関ケ原の合戦の前哨戦となった岐阜城の戦いで池田輝政、福島正則に敗れた織田秀信は、円徳寺で剃髪し、仏門入りし、高野山に入りました。この時の秀信髪切塚があります。







・円徳寺
住所:岐阜県岐阜市神田町6丁目24
電話:058-265-3575
営業時間:9:00〜17:00
定休日:無
料金:無
駐車場:無
アクセス:JR、岐阜駅から徒歩約11分
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