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更新日:
2021年6月6日
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◎岐阜大仏(2020年4月11日)
岐阜大仏(ぎふだいぶつ)は、岐阜県岐阜市大仏町(だいぶつちょう)にある金鳳山正法寺(きんぽうざんしょうぼうじ)にある仏像(釈迦如来像)です。木材で骨格を作り、竹材で形を作っていることから「籠大仏(かごだいぶつ)」と呼ばれています。
正法寺は、黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で、京都府宇治市にある黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)の末寺です。黄檗宗は、中国から来た僧、隠元隆g(いんげんりゅうき)を祖とする宗教です。隠元隆gは長崎の唐人寺であった崇福寺の住持として招聘され、1654年(承応3年)7月5日夜に長崎に到着しました。1658年(万治元年)には江戸幕府4代将軍、徳川家綱と会見し、その結果、1660年(万治3年)、山城国宇治郡大和田に寺地を賜り、翌1661年(万治4年)、新寺を開創しました。この時、寺の名前を自身の生地である中国、福建省福清の古刹で、自身が得度した黄檗山萬福寺と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けました。
これにより、隠元は日本禅界の一派の開祖となりましたが、当初は臨済正宗を名乗っていました。しかしながら、日本に根付いていた臨済宗とは異なり、自身が学んだ中国、明時代の臨済禅に倣っていたことから、黄檗宗と呼ばれるようになったようです。
正法寺は、もともと江戸時代の1638年(寛永15年)に広音和尚によって開かれました。その後、1692年に黄檗宗に改宗しました。そして正法寺の第11代、惟中和尚(いちゅうおしょう)が寛政年間の1791年頃、大地震や大飢饉で亡くなった人々の菩提のために大釈迦如来像の建立を図りました。しかし、そのための費用を各地を托鉢して集めたものの、なかなか集まらず、お堂と大仏の頭部のみしか完成できず、1815年(文化12年)に亡くなってしまったそうです。しばらく中断したものの、次の住職である第12代、肯宗和尚が事業を引き継ぎ、造り始めてから38年の歳月を費やし、1832年(天保3年)4月にようやく本尊が完成しました。これが「岐阜大仏」として知られ、現存している本尊です。大仏は坐像で像高13.63m、顔の長さ3.63m、目の長さ0.66m、耳の長さ2.12m、口幅0.70m、鼻の高さ0.36mです。日本三大仏の1つに数えられ、乾漆仏としては日本一の大きさです。鎌倉の大仏は像高11mですので、これよりも大きい仏像です。
大仏は周囲1.8m、直径約57cmの大イチョウを真柱(真木、心木、しんぼく)として台座から背骨のように天井まで到達しています。骨格は木材で組み、外部は良質の竹材を編んで仏像の形を作った後、粘土を塗り、その上に一切経、阿弥陀経、法華経、観音経等の経典が書かれた美濃和紙を貼り、漆を塗り、金箔を貼って作っている乾漆仏です。この手法は塑造漆箔(そぞうしっぱく)と呼ばれるものです。経典は当時の住職が読み、一枚一枚貼られたそうです。胎内には、平安時代の円仁(慈覚大師)作との伝承がある薬師如来像が入っています。なお、近年の調査で、胴体と頭部で竹の編み方など、作り方が違うことが分かっているそうです。
他の大仏と比べて頭が少し前に傾いているため、「正面から拝むと大仏様と目が合う」、と参拝者から親しまれています。また、大仏様の両サイドに、お釈迦様の弟子の五百羅漢像がずらりと並んでいます。大仏は胎内仏である薬師如来像と共に岐阜県指定の重要文化財となっており、大仏殿は岐阜市の指定重要文化財となっています。





・岐阜大仏、籠大仏(かごだいぶつ)
住所:岐阜県岐阜市大仏町8
電話:058-264-2760
営業時間:9:00〜17:00
定休日:無
料金:大人:200円、小人:100円
駐車場:有
アクセス:岐阜駅からバス、「岐阜公園・歴史博物館前」下車、徒歩約3分
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