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更新日:
2025年8月5日
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◎韮山反射炉(2013年11月5日)
「韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)」は、静岡県伊豆の国市にある反射炉の遺跡です。反射炉とは金属融解炉の一種で、砂鉄などの不純物を含む銑鉄(せんてつ)を高温で溶かして、優良な鉄を生産するための炉のことです。銑鉄を溶かすためには千数百度の高温が必要となります。反射炉は熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別室になっているのが特徴です。天井が浅いドーム形になっている溶解室で天井に炎や熱を「反射」させ、銑鉄に集中させることで高温を実現する仕組みになっています。炉内で炎や熱を「反射」させる構造であることから、「反射炉」と呼ばれています。溶かされた高純度の鉄は、鋳型に流し込んで大砲などに加工されました。
江戸時代末期、欧米諸国がアジアに進出してきたことにより、幕府は対抗策を打ち出す必要がありました。1801年(享和元年)生れの江川英龍(えがわひでたつ)は、近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、幕府にさまざまな海防策を提案していたそうです。また、1849年(嘉永2年)には、江戸の自宅に小型の反射炉の実験炉を試作して、大砲の製作に関する研究をしていたそうです。
1853年(嘉永6年)、ペリーが黒船に乗って来航したことにより、日本は外国の脅威にさらされることになりました。そして江戸幕府は、江戸湾防衛のために内湾に大砲の設置台(砲台、台場)の建設を進めるとともに、大砲を製造するための炉の建造を進めました。1853年12月に伊豆、下田港に近い賀茂郡本郷村(現、下田市高馬)で基礎工事が始められたものの、翌1854年(安政元年)3月末に、下田に入港していたアメリカ合衆国、マシュー・ペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入するという事件が起きたそうです。そこで、築造場所を韮山代官所に近い田方郡中村(現、伊豆の国市中、現在地)に変更したそうです。そのため、建設当時は中村反射炉と呼ばれていたそうです。
江川英龍は反射炉の研究を続けていたものの、蘭書の記述のみでの反射炉建造は非常に困難だったそうです。そこで連双式(溶解炉を二つ備える)、2基を直角に配置して、4つの溶解炉を同時に稼動させることで大型砲を鋳造できるように工夫したそうです。
1855年(安政2年)に江川英龍が病気で死去したため、息子の江川英敏が跡を継いで築造を進め、1857年(安政4年)11月に完成しました。そして1857年(安政4年)から1864年(元治元年)まで反射炉本体で実際に鋳造が行われ、「鉄製18ポンドカノン砲」や「青銅製野戦砲」などの西洋式大砲が鋳造されました。また、近年の発掘調査では砲弾の鋳型などが発見されているそうです。
現在、目にすることができる韮山反射炉はレンガとそれを囲う鉄のフレームでできていますが、建設当初は白亜の塔だったそうです。建設当時はレンガの上に漆喰が塗られていたそうです。鉄のフレームは1957年(昭和32年)の大修理の際、地震から反射炉を守るために補強として取り付けられたものだそうです。さらに1989年(平成元年)、より丈夫な鉄のフレームに付け替えられ、現在の姿になっているそうです。
また、現在では連双2基4炉を備える反射炉だけが残っていますが、当時は反射炉の周辺には様々な作業小屋や倉庫などが立ち並び、多くの職人が働いていたそうです。
江戸時代、大砲鋳造のために建設された反射炉は国内で十数基あったそうですが、現存するのは3基(萩反射炉、薩摩の旧集成館反射炉跡、韮山反射炉)だけだそうです。しかし、当時の姿を、ほぼ完全な形で残しているのは韮山反射炉だけです。また、実際に稼働したことが確認されている点でも大変貴重だそうです。
1864年(元治元年)に閉鎖された後、1868年(明治元年)に幕府直営から江川家私営となりました。その後は風化が進んだそうですが、1908年(明治41年)、韮山村有志が反射炉敷地を買い取り、陸軍省に献納しました。錐台等の附属機械が造兵司令に引き渡されたことから、現在まで残っているのは反射炉本体だけとなっています。
その後、反射炉は荒れるままに放置されていたそうですが、江川英龍没後50年を機に「日本における砲兵工廠の鼻祖」として保存の気運が高まり、1908年(明治41年)に陸軍省による補修工事が行われたそうです。1922年(大正11年)3月8日には国の史跡に指定されました。
また、1957年(昭和32年)、1985年(昭和60年)から1989年(平成元年)にかけて大規模な保存修理が行われ、耐震補強・煉瓦の風化防止処置などが施されました。
2007年(平成19年)には経済産業省から近代化産業遺産に認定されました。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストに掲載され、2015年(平成27年)7月には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として、世界文化遺産に登録されました。
・韮山反射炉
住所:静岡県伊豆の国市中260-1
電話:055-949-3450
営業時間:9:00〜17:00
定休日:第3水曜日
料金:
駐車場:有
◎韮山反射炉(2013年11月5日)
「韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)」は、静岡県伊豆の国市にある反射炉の遺跡です。反射炉とは金属融解炉の一種で、砂鉄などの不純物を含む銑鉄(せんてつ)を高温で溶かして、優良な鉄を生産するための炉のことです。銑鉄を溶かすためには千数百度の高温が必要となります。反射炉は熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別室になっているのが特徴です。天井が浅いドーム形になっている溶解室で天井に炎や熱を「反射」させ、銑鉄に集中させることで高温を実現する仕組みになっています。炉内で炎や熱を「反射」させる構造であることから、「反射炉」と呼ばれています。溶かされた高純度の鉄は、鋳型に流し込んで大砲などに加工されました。
江戸時代末期、欧米諸国がアジアに進出してきたことにより、幕府は対抗策を打ち出す必要がありました。1801年(享和元年)生れの江川英龍(えがわひでたつ)は、近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、幕府にさまざまな海防策を提案していたそうです。また、1849年(嘉永2年)には、江戸の自宅に小型の反射炉の実験炉を試作して、大砲の製作に関する研究をしていたそうです。
1853年(嘉永6年)、ペリーが黒船に乗って来航したことにより、日本は外国の脅威にさらされることになりました。そして江戸幕府は、江戸湾防衛のために内湾に大砲の設置台(砲台、台場)の建設を進めるとともに、大砲を製造するための炉の建造を進めました。1853年12月に伊豆、下田港に近い賀茂郡本郷村(現、下田市高馬)で基礎工事が始められたものの、翌1854年(安政元年)3月末に、下田に入港していたアメリカ合衆国、マシュー・ペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入するという事件が起きたそうです。そこで、築造場所を韮山代官所に近い田方郡中村(現、伊豆の国市中、現在地)に変更したそうです。そのため、建設当時は中村反射炉と呼ばれていたそうです。
江川英龍は反射炉の研究を続けていたものの、蘭書の記述のみでの反射炉建造は非常に困難だったそうです。そこで連双式(溶解炉を二つ備える)、2基を直角に配置して、4つの溶解炉を同時に稼動させることで大型砲を鋳造できるように工夫したそうです。
1855年(安政2年)に江川英龍が病気で死去したため、息子の江川英敏が跡を継いで築造を進め、1857年(安政4年)11月に完成しました。そして1857年(安政4年)から1864年(元治元年)まで反射炉本体で実際に鋳造が行われ、「鉄製18ポンドカノン砲」や「青銅製野戦砲」などの西洋式大砲が鋳造されました。また、近年の発掘調査では砲弾の鋳型などが発見されているそうです。
現在、目にすることができる韮山反射炉はレンガとそれを囲う鉄のフレームでできていますが、建設当初は白亜の塔だったそうです。建設当時はレンガの上に漆喰が塗られていたそうです。鉄のフレームは1957年(昭和32年)の大修理の際、地震から反射炉を守るために補強として取り付けられたものだそうです。さらに1989年(平成元年)、より丈夫な鉄のフレームに付け替えられ、現在の姿になっているそうです。
また、現在では連双2基4炉を備える反射炉だけが残っていますが、当時は反射炉の周辺には様々な作業小屋や倉庫などが立ち並び、多くの職人が働いていたそうです。
江戸時代、大砲鋳造のために建設された反射炉は国内で十数基あったそうですが、現存するのは3基(萩反射炉、薩摩の旧集成館反射炉跡、韮山反射炉)だけだそうです。しかし、当時の姿を、ほぼ完全な形で残しているのは韮山反射炉だけです。また、実際に稼働したことが確認されている点でも大変貴重だそうです。
1864年(元治元年)に閉鎖された後、1868年(明治元年)に幕府直営から江川家私営となりました。その後は風化が進んだそうですが、1908年(明治41年)、韮山村有志が反射炉敷地を買い取り、陸軍省に献納しました。錐台等の附属機械が造兵司令に引き渡されたことから、現在まで残っているのは反射炉本体だけとなっています。
その後、反射炉は荒れるままに放置されていたそうですが、江川英龍没後50年を機に「日本における砲兵工廠の鼻祖」として保存の気運が高まり、1908年(明治41年)に陸軍省による補修工事が行われたそうです。1922年(大正11年)3月8日には国の史跡に指定されました。
また、1957年(昭和32年)、1985年(昭和60年)から1989年(平成元年)にかけて大規模な保存修理が行われ、耐震補強・煉瓦の風化防止処置などが施されました。
2007年(平成19年)には経済産業省から近代化産業遺産に認定されました。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストに掲載され、2015年(平成27年)7月には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として、世界文化遺産に登録されました。




・鋳鉄製24ポンド カノン砲



・韮山反射炉
住所:静岡県伊豆の国市中260-1
電話:055-949-3450
営業時間:9:00〜17:00
定休日:第3水曜日
料金:
駐車場:有
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