彦根城

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更新日:
 2004年6月6日




◎彦根城(2004年5月11日)
 彦根城(ひこねじょう)は、滋賀県彦根市金亀町にある城です。彦根藩、2代藩主、井伊直継(いいなおつぐ)、3代藩主、井伊直孝(いいなおたか)によって20年の歳月をかけて建設された平山城(標高50m)で、標高約130mの山の上に築かれています。明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存しており、現存12天守の1つに数えられています。破却を免れたのは、明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからとされています。天守と附櫓(つけやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)が国宝に指定されており、安土桃山時代から江戸時代の櫓、門など5棟が国の重要文化財に指定されています。天守が国宝に指定されているのは全国で5城だけです。(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城です)
 彦根藩、初代藩主、井伊直政(いいなおまさ)は、1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官、石田三成の居城であった佐和山城に入城しました。井伊直政は佐和山城を嫌い、琵琶湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画していたそうですが、関ヶ原の戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去してしまいました。家督を継いだ井伊直継が幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)、湖畔の磯山ではなく、琵琶湖に面した彦根山に彦根城の築城を開始しました。彦根山は別名、金亀山(こんきやま)と呼ばれたため、「彦根城」は「金亀城(こんきじょう)」とも呼ばれます。金亀山と呼ばれた理由は、彦根城を築城する以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたためだそうです。
 彦根城の天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築したため、天守は2年足らずで完成したそうです。井伊直継が彦根城に入城したのは、1606年(慶長11年)だそうです。しかし2代藩主、井伊直継は病弱で、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣に参陣出来なかったことを理由に1615年(元和元年)、直勝と名を改め、上野安中藩に3万石を分知され、移封となりました。
 3代藩主には井伊直継の弟で、直継に代わって大坂の陣に参陣し、活躍した弟の直孝が就きました。井伊直孝は、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王の1人)に劣らぬ武将と賞賛されました。
 井伊直孝が藩主となった1615年(元和元年)から彦根城建設の2期工事が開始され、表御殿の造営、城郭改造などが行われ、城郭の完成は1622年(元和8年)とされています。
 1854年(安政元年)には天秤櫓の大修理が行われ、その際、石垣の半分が積み直されたそうです。向かって右手が築城当初からの「牛蒡積み」、左手が新たに積み直された「落し積み」の石垣になっています。









・彦根城
 住所:滋賀県彦根市金亀町1-1
 電話:0 749-22-2742
 営業時間:8:30〜17:00
 定休日:無
 料金:大人800円、小・中学生200円
 駐車場:有
 アクセス:JR、彦根駅から徒歩約15分