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更新日:
2004年6月6日
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◎楽々園(らくらくえん)(2004年5月5日)
◎玄宮園(げんきゅうえん)(2004年5月5日)
楽々園と玄宮園は、いずれも彦根藩4代藩主、井伊直興(いいなおおき)によって建立された彦根藩の二の丸御殿で、1677年(延宝5年)から2年をかけて造られ、1679年(延宝7年)に完成しました。彦根城の北東に当たり、松原内湖に面した広大な干拓地だったそうです。その後は倹約令により、規模は縮小されつつありましたが、1813年(文化10年)、11代藩主、井伊直中(いいなおなか)が隠居後の住まいとするために大規模な増改築を行い、「槻御殿(けやきごてん)」と名付けました。当時の大きさは現在の建物のおよそ10倍もあったそうです。
大池泉回遊(だいちせんかいゆう)式の庭園は、彦根城天守閣や茂った木々を背景に、大きな池に突き出すように臨池閣(りんちかく)が立ち、築山には鳳翔台(ほうしょうだい)があります。この鳳翔台(ほうしょうだい)は、彦根藩の賓客をもてなすための客殿で、ひなびた趣のある建物だったそうです。樹木、岩石、池を巧みに配し、池の周りに、湖南省洞庭湖(こなんしょうどうていこ)の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)にちなんで選ばれた近江八景、竹生島(ちくぶしま)や沖の白石などを模して造られており、情趣のある庭になっています。鳳翔台では、抹茶を楽しむことができます。
さらに12代藩主、井伊直亮(いいなおあき)の時代に、佐和山や松原内湖が見える「楽々之間」を増築してから「楽々」の名で呼ばれるようになりました。「楽々」とは、「山を楽しみ水を楽しむ」に由来する呼称だそうです。この時、「御書院」、「地震の間」、「雷の間」、「楽々の間」などの建物が造られたそうです。また、御書院に面して新たに「庭園」が築かれたそうです。現在、枯山水となっている庭園は、古絵図によると満々と水をたたえた池だったそうで、戦前までは庭園と御書院の間に池が広がっていたそうです。「御書院」の奥は渓谷の風情をなしており、「地震の間」、「雷の間」、「楽々の間」へと連なっています。「地震の間」は耐震構造の建物であるため今日、そう呼ばれていますが、本来は茶の湯に用いられた「茶座敷」でした。「楽々の間」も「地震の間」と同じように数寄屋建築です。
現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。敷地は国の特別史跡「彦根城跡」の区域に含まれており、楽々園と玄宮園を合わせて「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されています。





・御書院


・地震の間

・楽々の間

住所:滋賀県彦根市金亀町3-40
電話:0749-22-2742
営業時間:8:30~17:00
定休日:無
料金:大人800円、小人200円(彦根城と共通)
駐車場:有
アクセス:JR、琵琶湖線、彦根駅下車、徒歩約15分
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