平等院

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更新日:
 2016年1月6日




◎平等院(2015年12月20日)
 平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院です。平安時代、宇治の地は貴族の別荘があったリゾート地だそうです。宇治川の西岸、現在の平等院の地は9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融(みなもと の とおる:822年〜895年)の別業(べつぎょう、古代貴族の別荘)があったそうです。別業は宇多天皇(867年〜931年)に渡り、さらに宇多天皇の孫である源重信(922年〜995年)を経て998年(長徳4年)、摂政、藤原道長(966年〜1028年)の別荘「宇治殿」となりました。これを譲り受けた息子である藤原頼通は1052年(永承7年)に別業を仏寺に改め、平等院としました。開基は藤原頼通、開山は天台宗の僧、明尊です。藤原頼通は明尊に帰依しており、当時、明尊は滋賀県大津市にある平等院にいたそうですが、藤原頼通に請われ、この新しい寺を「平等院」とし、それまでの「平等院」に「圓満院」という名前を付けたそうです。創建時の本堂は鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり、大日如来を本尊としていたそうです。創建時の本堂は鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり、大日如来を本尊としていたそうです。
 この頃、世には「末法思想」というものが流行していたそうです。末法思想とは、釈迦の入滅から2000年経つと、仏教の教えが正しく伝わらなくなる時代となり、天災や人災が多く降りかかり、世が乱れるという思想です。平等院が創建された1052年(永承7年)は、その末法の元年とされていた年だったそうです。このため当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営したそうです。
 翌1053年(天喜元年)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には仏師、定朝(じょうちょう)によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置されました。これは定朝が手掛けた仏像として現存する唯一の作品で、国宝に指定されています。西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀ったお堂ということで、貴族に限らず多くの人が平等院を信仰したそうです。
 この阿弥陀堂は池の中島に建てられており、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映しています。平安時代の記録では「阿弥陀堂」、あるいは単に「御堂」と呼ばれていたようです。
 阿弥陀堂は中堂、翼廊(両サイドの2つ)、尾廊からなる建物から成り、正面から見た姿が翼を広げた鳥のように見えること、屋根上に一対の鳳凰が据えられていることから、江戸時代初め頃から阿弥陀堂が「鳳凰堂」と呼ばれるようになったようです。堂内須弥壇の格狭間に嵌め込まれた金銅板の延宝8年(1680年)の刻銘に「平等院鳳凰堂」とあることから、江戸時代には「鳳凰堂」と呼ばれていたことが明らかになっています。また、1711年(正徳元年)に作成された「山州名跡志」という書物にも「鳳凰堂」と記載されているそうです。
 鳳凰堂は経典の中に出てくる極楽の宝池に浮かぶ阿弥陀如来の宮殿や庭園をモチーフに造られています。東方に面して建てられており、阿字池を隔てて西方に極楽浄土があることを示しています。ただ、鳳凰堂は建築美を追求して造られたらしく、実用的ではないそうです。例えば中堂と翼廊が繋がっていないため、行き来できません。全体的に柱が高く、軽やかな印象ですが、構造的に不安定だそうです。また、中堂の阿弥陀如来が顔を出す中央扉の上のベランダは飾りなので出る手段がないそうです。このため構造的には不安定なため、創建以来、定期的に修理を繰り返して現在に至っているそうです。
 1951年(昭和26年)、当時の最高額面の硬貨である十円玉の図柄として平等院鳳凰堂が採用されました。1951年(昭和26年)に制定され、製造が開始され、1953年(昭和28年)から発行されました。前年の1950年(昭和25年)に文化財保護法が制定、施行されましたので、国をあげて文化財を保護しようというアピールがあったのかもしれません。



・鳳凰堂



















・旧南門
 伏見桃山城からの移構とされ、安土桃山時代に製作されたと考えられています。垂木等も江戸時代以前の特徴である先端が細く、大胆な反りで、天井板を備えた古式武家門の姿です。



・観音堂
 鎌倉時代に造られました。当初は中央に須弥壇を置く程度だったと思われ、簡素な建物です。



・鐘楼
 鐘身に施された装飾が美しいことで有名な鐘です。





・最勝院
 境内に源頼政の墓があります。





・源頼政の墓
 源頼政は保元・平治の乱で武勲を挙げ、平清盛の奏請により、源氏として初めて従三位に叙せられました。1180年(治承4年)5月26日、平家追討の兵を挙げたものの、宇治川で平知盛軍の追撃を受け、平等院境内にて自刃しました。(齢76歳)辞世の句は「埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける」だそうです。



・春日形 石灯籠
 春日形は、藤原家氏神として繁栄した春日大社参道に寄贈された一連のものです。この石灯籠は13世紀、鎌倉時代の作とされています。



・平等院
 住所:京都府宇治市宇治蓮華116
 電話:0774-21-2861
 営業時間:8:30〜17:30
 定休日:無
 駐車場:無
 アクセス:JR、宇治駅から徒歩約10分