飛行神社(ひこうじんじゃ)

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更新日:
 2018年11月25日



◎飛行神社(ひこうじんじゃ)(2017年11月5日)
 「飛行神社(ひこうじんじゃ)」は京都府八幡市にある神社で、空の神とされる饒速日命(にぎはやひのみこと)と航空事故の犠牲者などを祀る神社です。日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が1915年(大正4年)に創建した神社です。
 二宮忠八は1891年(明治24年)4月29日に香川県丸亀の歩兵第12聯隊練兵場に於いて、日本人として最初のゴム動力によるカラス型飛行器の飛行に成功した愛媛県八幡浜出身の人物です。「飛行器」とは、忠八本人の命名だそうです。
 二宮忠八は1866年(慶応2年)6月、海産物を商う二宮家の四男として誕生し、12歳の時、父がこの世を去り、働き始めました。1880年(明治13年)には、伯父の薬種商の手伝いをするうち、物理や化学に深い興味を持ち、測量技師の手伝いをするなど、働きながら独学で得た知識を生かして、独創的で奇抜な凧を作り、「忠八凧」と呼ばれたそうです。
 その後、1887年(明治20年)12月に丸亀の歩兵第12聯隊付の看護卒として入隊しました。1889年(明治22年)11月に四国の山岳地帯で行なわれた秋季機動演習中、香川県の仲南町(現、香川県仲多度郡まんのう町)の樅ノ木峠(もみのきとうげ)で昼食を摂っていた時、カラスが40〜50羽ほど、翼を広げて固定翼で滑空している姿に興味を持ち、観察を始めたそうです。
 これ以降、独自に研究を重ねて「カラス型飛行器」を完成し、上述した通り、1891年(明治24年)4月29日にゴム動力によるカラス型飛行器の飛行に成功しました。その後、人が乗ることができる二枚翼の玉虫型飛行器を考案し、1893年(明治26年)に設計が完了しました。試作実験を始めようとした矢先に日清戦争が起り、出兵することになり、試作は延期となりました。
 戦中、自分が考えている飛行器を軍に供用すれば便利であろうと考え、飛行器の設計図を上申書に添えて軍用機の研究開発を願いでたものの、却下されました。そこで独力で作るしかないと決意し、1898年(明治31年)、忠八が33歳の時、軍を除隊しました。しかし研究には元手が必要ということで大日本製薬株式会社に入社し、職工として品質の良い薬品の製造に心を注ぎ、功績を上げ、会社の発展に尽力したそうです。そして資金が貯えられた1900年(明治33年)に忠八の出身地と似た地名の京都府八幡町に土地を購入し、そこに住んで研究開発をしたそうです。
 しかし、1903年(明治36年)12月17日、アメリカのライト兄弟が飛行機を完成し、人類初の有人飛行に成功した情報を聞くと、忠八は無念の涙を流し、飛行機を作ってもライト兄弟の真似をしたという評価しか受けないだろうと考え、製作を断念したそうです。
 しかしながら飛行機が発明されて以降、航空機による事故が多発するようになったことに心を痛めた忠八は、飛行機開発に携わった者として事故犠牲者の慰霊をすべきと考えるようになりました。そこで自邸内(京都府八幡市、現在地)に私財を投じて犠牲者の霊を祀る神社を1915年(大正4年)に創建しました。この神社は特定の条件にあう死者を神社にあわせて祀るという招魂社の一種で、靖国神社と同様の信仰基盤です。
 1936年(昭和11年)、忠八の死によって、一時、廃絶したものの、1955年(昭和30年)に忠八の息子、二宮顕次郎によって再興されました。1989年(平成元年)には忠八の飛行原理発見百周年を記念して境内の拡張、改装が行なわれました。拝殿は古代ギリシャの神殿を模し、鳥居は錆や腐食に強いステンレスで作られています。また忠八や航空機に関する資料、奉納された航空機模型などを展示する飛行神社資料館も新設されました。境内にはこのほか、大阪湾から引き揚げられた零式艦上戦闘機のプロペラなどが展示されています。
 1992年(平成3年)5月9日に二代目宮司、二宮顕次郎氏が他界すると、1992年年8月、宗教法人となり、三代目宮司に二宮裕二氏が就任しました。現在では航空、宇宙業界関係者が安全祈願に訪れるそうです。

・飛行神社(ひこうじんじゃ)
 住所:京都府八幡市八幡土井44
 電話:075-982-2329
 営業時間:9:00〜16:30
 定休日:
 料金:
 駐車場:有(3台)
 アクセス:京阪電車、石清水八幡宮駅より徒歩約5分