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更新日:
2019年7月26日
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◎ビリケン神社(2019年7月11日)
ビリケン神社とは、大阪市浪速区の新世界という地域(大阪市浪速区恵美須東に位置する繁華街)にある幸運の神様、ビリケンさんを祀っている神社です。
愛嬌のある顔と、足を投げ出して座ったふてぶてしい姿のビリケンさんですが、れっきとした神様です。大阪の通天閣に置かれた木像が有名ですが、ビリケンさんは庶民の味方として、古くから世界中で愛されてきました。その発祥には諸説あるそうですが、1908年にアメリカの女性芸術家、フローレンス・プリッツ(Florence Pretz)が「夢の中で見た神様」をモデルとして制作した作品が起源と言われているそうです。
フローレンス・プリッツはアメリカ合衆国、ミズーリ州(Missouri)のカンザスシティ(Kansas City)で美術の教師とイラストレーターをしていたそうです。フローレンス・プレッツは1908年にデザイン特許(意匠特許)を取得し、シカゴ(Chicago)のビリケンカンパニー(Billiken Company)に特許を売りました。
ビリケンカンパニーはビリケン像を制作し、販売した結果、「幸福の神様」として全世界に知れ渡ったそうです。日本には1909年(明治42年)頃に伝わり、1911年(明治44年)に大阪の繊維会社、神田屋田村商店(現、田村駒株式会社)が商標登録を行い、販売促進用品や商品キャラクターとして使用しました。当時の日本では、顔だちはアジア人、足を突き出しての座り方はアフリカ人がモデルとされ、「足の裏をかいて笑えば願いがかなう」とされました。ビリケンは、田村商店の商標という枠を超えて日本中で人気を博したそうです。
1912年(大正元年)、大阪の新世界に遊園地、ルナパークがオープンし、ルナパーク内のホワイトタワー内に「ビリケン堂」が設けられ、ビリケン像が置かれ、名物となったそうです。しかし、1923年(大正11年)にルナパークが閉鎖されると、このビリケン像は行方不明になってしまったそうです。
1979年(昭和54年)、通天閣に「通天閣ふれあい広場」をつくる際、かつて新世界の名物であったビリケン像を復活させることになりました。この時、1949年(昭和24年)に田村駒株式会社が制作したビリケン像が通天閣に貸し出され、盛大な催しが開かれたそうです。そして、この像をモデルにして伊丹市在住の安藤新平の木彫によってビリケン像が製作され、1979年(昭和54年)に2代目ビリケン像として通天閣の展望台に鎮座しました。高さ55cm、幅36cm、奥行き41cmの大きさで、足の裏をなでると御利益があるとして、足の裏をなでる人が後を絶たない名物になったそうです。
その後、足の裏のすり減りが進んだため、2012年(平成24年)5月、通天閣並びに新世界100周年を記念して新たに三代目ビリケンさんが祀られました。三代目ビリケンさんの中には、金のビリケンさんで「ビリ金さん」も納められています。
ビリケン神社は、2012年(平成24年)8月11日、新世界の串カツ店「横綱 通天閣店」(大阪市浪速区恵美須東3)の隣に誕生しました。こちらのビリケンさんは通天閣展望台に鎮座している木像と違い、ブロンズ像で高さ50cmです。100年前に開業した新世界の基になる遊園地「ルナパーク」にあったといわれるビリケン堂があったとされる場所にビリケン神社を作りました。2012年7月3日に新世界が100周年を迎え、ビリケンさんが新世界に来て100年経つことを記念して、新世界串かつ振興会がビリケン神社を建立しました。2012年(平成24年)8月11日に落成式を開催し、今宮戎神社の宮司が神事を執り行いました。


・ビリケン神社
住所:大阪府大阪市浪速区恵美須東3-6-1
営業時間:10:00〜22:00
定休日:無
料金:無
アクセス:JR、南海線、新今宮駅より徒歩約5分
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