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更新日:
2019年7月26日
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◎合邦辻閻魔堂(がっぽうがつじえんまどう)(2019年7月11日)
合邦辻閻魔堂(がっぽうがつじえんまどう)は、大阪市浪速区にある堂宇で、融通念仏宗の寺院、西方寺の境内にあります。「合邦辻(がっぽうがつじ)」とは、現在の松屋町筋(下寺町筋)と国道25号線(竜田越奈良街道)の交差点(公園北口交差点)を指す歴史的な呼称で、「合邦ヶ辻」とも表記されるそうです。古くは「合法辻」と書かれ、聖徳太子が仏教反対派の物部守屋と仏法について合論した地であると伝わっているそうです。
仏教反対派の物部守屋が滅びた後、この地にお寺が建てられたそうです。閻魔堂も聖徳太子の創建によると伝えられ、古くは大伽藍があったそうですが、たびたびの兵火によって焼失し、辻堂だけが残っているそうです。
ご本尊は閻魔大王で、閻魔大王は首から上、特に脳に関する病気から守って下さるご利益がると信仰を集めており、「脳の守り神」と呼ばれています。お堂には閻魔大王の他に、閻魔大王とともに死者の死後の裁判をうけもつ十王の像が安置されています。
1877年(明治10年)の明治天皇住吉行幸の際、道路拡張のため、交差点の北西側にあたる融通念佛宗西方寺の境内に移転されました。また、太平洋戦争中、1945年(昭和20年)3月13日の空襲によって閻魔堂も西方寺も焼失してしまいました。戦後、1952年(昭和27年)、大念仏寺(東住吉区)から木像閻魔を譲り受け、再建されました。
閻魔堂は国道25号に面して建っており、狂言および歌舞伎の演目である「摂州合邦辻」ゆかりの地として「玉手之碑」が立っています。「玉手」とは、「摂州合邦辻」の登場人物です。
「摂州合邦辻」は、河内国の城主、高安左右衛門の息子、俊徳丸が登場しますが、その名は四天王寺にゆかりの「俊徳丸伝説」に由来します。河内国高安に住む若く聡明な俊徳丸は、隣村の蔭山長者の娘と恋に落ちますが、継母に憎まれた俊徳丸は失明させられ、家から追放されてしまいます。その後、四天王寺境内で物乞いをする身となりますが、蔭山長者の娘と再会し、涙ながらに観音菩薩に祈願したところ、俊徳丸の病気が治り2人で幸せな人生を送ったという物語です。俊徳丸が四天王寺に通った道筋が、現在、「俊徳街道」と呼ばれています。四天王寺の西門で西に沈む夕日を拝み、西方浄土を偲んだと伝えられる俊徳丸から、現在でも病気平癒を祈願するために多くの方が閻魔堂を訪れています。






・合邦辻閻魔堂(がっぽうがつじえんまどう)
住所:大阪府大阪市浪速区下寺3-6-11
電話:06-6632-2749
営業時間:
定休日:無
料金:無
駐車場:無
アクセス:JR、天王寺駅から徒歩約15分
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