南京町(なんきんまち)

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更新日:
 2018年8月26日




◎南京町(なんきんまち)(2018年8月11日)
 南京町(なんきんまち)とは、兵庫県神戸市中央区にあるエリアであり、元町通と栄町通にまたがる一帯のことで、「地名」や「住所地」ではありません。1868年1月1日(慶応3年12月7日)に神戸港が開港した後、この地域に中国(当時は清)から来た人達が移り住み、中国人街となったそうです。当時、海外から来た人々は、ここよりも山側(北側)の北野エリアに居を構えており、「異人館街」と呼ばれる外国人居留地に住んでいました。しかし、清国とは条約を締結していなかったため、外国人居留地に住むことができず、現在の南京町のエリアに住むようになったそうです。
 このように華僑の人々が集まって住むようになり、雑貨商、豚肉商、飲食店など、色々なお店が増えていくと神戸の人々から「南京町(なんきんまち・なんきんちょう)」、「南京街(なんきんがい)」と呼ばれるようになったそうです。明治時代、日本人は中国人を「南京人」と呼んでいたようです。このため、横浜の中華街も当初は「南京町」と呼ばれていたそうです。太平洋戦争後、南京が中国の一都市の名前にすぎないこと、蔑称的だということで1955年(昭和30年)に横浜の「南京町」は「中華街」と名前を変えたそうです。
 すなわち「南京町」は、神戸にある「中華街」のことで、現在では横浜中華街、長崎新地中華街とともに日本三大チャイナタウンの1つとされています。当時の南京町は食材を扱う店が多かったらしく、昭和初期頃には「関西の台所」として賑わっていたそうです。
 しかし、1945年(昭和20年)の神戸大空襲によって神戸市元町一帯は全焼してしまったそうです。戦後の南京町はバラックが立ち並ぶ闇市に変わり、外国人バーがひしめく危険な裏通りになってしまったそうです。その後、外国船が神戸港に寄港しなくなってしまい、一気に寂れてしまったそうです。一時、中華料理店で営業をしているのは「広東料理 民生」だけという状況だったそうです。
 1975年(昭和50年)頃から神戸で博覧会開催の動きが活発化してきました。これに伴い、南京町一帯が神戸市の区画整理事業の対象になり、南京町を復活させるため1977年(昭和52年)11月4日、「南京町商店街振興組合」が設立されました。1981年(昭和56年)に神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア '81)が開催される中、南京町にかつての中華街の繁栄を取り戻すための町づくり(南京町復興環境整備事業実施計画)がまとまり、名前も「南京町(なんきんまち)」に統一されました。
 1982年(昭和57年)6月27日、台湾製で、高さ7.6mの「南楼門」が完成しました。「南京町」の文字は李萬之氏(神戸中華同文学校、校長)の揮毫です。1983年(昭和58年)4月29日には高さ6.8m、直径3m「あづまや」が完成、1985年(昭和60年)11月19日には、中国が海外へ輸出を許可した第1号となる漢白玉楼門、「長安門」(高さ9.85m、幅7.4m)が竣工しました。南京町は東西約200m、南北110mという狭い範囲ですが、100あまりの店舗が軒を連ねています。南京町の中央通りは十字路になっており、中央の広場に「あずまや」、東に「長安門」、西に「西安門」、南に「海栄門」という名前の門があり、北は元町商店街につながっています。店頭の路上で点心、スイーツ、食材、記念品などを売る店も多く、休日は地元の買い物客や観光客で賑わっています。
 なお、「南京町」は南京町商店街振興組合の登録商標です。南京町商店街振興組合に加盟している店舗だけが店名につけることが出来る固有の名称になっています。



・長安門









・西安門







・海栄門







・あずまや







・南京町(なんきんまち)
 住所:兵庫県神戸市中央区栄町通
 アクセス:JR、神戸線、元町駅、徒歩約5分