御霊神社(ごりょうじんじゃ)

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更新日:
 2019年4月26日



◎御霊神社(ごりょうじんじゃ)(2019年4月11日)
 御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、奈良県奈良市薬師堂町にある神社です。794年に新都、平安京に遷りましたが、疫病が流行したそうです。その原因は怨霊であるとした桓武天皇は、旧都である平城京からの3つの入り口、上つ道には早良親王を祀る崇道天皇社、下つ道には他戸親王を祀る他戸御霊社(現、井上神社)、中つ道には井上皇后(いのえこうごう/いがみこうごう)を祀る井上御霊社を造営することとしました。この井上御霊社が「御霊神社」です。
 延暦19年(800年)、桓武天皇の勅命によって延暦19年(800年)に大和国宇智郡(現、奈良県五條市)霊安寺町に創建された御霊神社から井上皇后の御霊を勧請し、創祀され、御霊会が行われました。
 本殿に祀られているのは、無実の罪で幽閉されたあげく亡くなった井上内親王(井上皇后)とその子、他戸親王(おさべしんのう)の二座です。主祭神の井上内親王は第49代光仁天皇の妃です。宝亀元年(700年)に天皇が即位すると皇后となり、子の他戸親王も皇太子となりました。しかし宝亀3年(772年)、天皇を呪詛した疑いをかけられて皇后位をはく奪されると、他戸親王も廃太子となりました。一説では山部親王(のちの桓武天皇)を擁立する藤原百川による策謀とも伝えられています。その後2人は大和国宇智郡(五條市)に幽閉され、宝亀6年(775年)に母子ともに薨去しました。
 薨去後、桓武天皇が即位しましたが、都に天変地異が相次ぎ、疫病が流行しました。これを母子の祟りと恐れた桓武天皇は僧侶に読経させ、墳墓を山陵に改葬し、さらに「吉野皇太后」の追号を贈るなど、手厚く慰霊しました。
 かつては元興寺南大門前にあったことから、その門前が井上町と呼ばれるようになりました。しかし、宝徳3年(1451年)10月20日に起きた土一揆によって元興寺が焼き討ちされ、御霊神社も焼失してしまいました。その後、現在地に遷されました。豊臣秀吉の時代になると町切り(町域区分の確定)によって氏子関係が確立し、奈良町を守護する氏神となりました。その氏子地域は70町あまりにも及び、奈良県で最も広い地域を守護しているそうです。





・拝殿







・本殿



・祓戸社



・出世稲荷神社



・若宮社



・水蛭子社



・御霊神社(ごりょうじんじゃ)
 住所:奈良県奈良市薬師堂町24
 電話:0742-23-5609
 営業時間:9:00〜17:00
 定休日:無
 料金:無
 駐車場:無
 アクセス:JR、奈良駅から徒歩約20分