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更新日:
2019年4月26日
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◎薬師寺(2019年4月11日)
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の寺院です。680年(天武天皇9年)に天武天皇が皇后、鵜野讃良皇女(うのさららのひめみこ、後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願され、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市城殿町(きどのまち))の地に造営が開始されました。
しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たず、686年10月1日(朱鳥元年9月9日)に崩御され、持統天皇が即位しました。持統天皇は天武天皇の遺志を継いで、薬師寺の造営を続けました。「日本書紀」には、688年(持統天皇2年)に薬師寺で「無遮大会(かぎりなきおがみ)」という行事が行われたことが記載されているそうです。すなわち688年頃には、ある程度、伽藍が整っていたと考えられます。その後も造営は続けられ、「続日本紀」によると698年(文武天皇2年)に寺の造営がほぼ完成し、僧を住まわせていることが記載されているそうです。
その後、元明天皇によって和銅3年3月10日(710年4月13日)、藤原京から平城京に遷都すると、718年(養老2年)に現在地の平城京、右京六條二坊に移されました。もともとの飛鳥の薬師寺は、本薬師寺として、当時の伽藍が10世紀頃までは残っていたようです。現在、橿原市城殿町に寺跡が残っており、「本薬師寺(もとやくしじ)跡」として特別史跡に指定されています。
薬師寺は、その長い歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。1528年(享禄元年)の兵火によって金堂、西塔、大講堂などが焼失しました。唯一、創建時から現存しているのが東塔であり、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されています。
・南門
南門(国の重要文化財:1947年(昭和22年)2月26日指定)は、薬師寺境内南正面に位置する小規模な門(四脚門、切妻造、本瓦葺)です。室町時代後期の1512年(永正9年)に建築された門で、もとは薬師寺西院の門です。

・中門
薬師寺「中門」は、薬師寺「白鳳伽藍」の南端に設けられた「南門」の北側すぐの位置にそびえ立つ立派な門で、薬師寺境内では最大級の門となっています。現在の中門は1984年(昭和59年)に再建されたものです。建築様式としては、東大寺転害門などでも見られる三角形の棟が三つ設けられた「三棟造」と呼ばれるもので重厚感を感じさせます。
かつての中門は、安土桃山時代の享禄元年(1582年)に発生した兵火によって焼失し、その際、「二天王像」も焼失したとされています。1991年(平成3年)の発掘調査結果に基づいて「二天王像」も復元され、中門の東西に配置されています。
「二天王像」は、いわゆる仁王像とは異なり、重厚な鎧などを身に着けて「武装」した姿が特徴です。造立に際し、中国西安にある「大雁塔」の門垣にある線彫の仁王像や、法隆寺の橘夫人念持仏厨子扉絵などが参考にされたそうです。

・東塔
唯一現存している創建時の建築物で、天平2年(730年)の建立と考えられています。三間三重塔婆、毎重もこし付、本瓦葺で各重に「裳階(もこし)」をつけているため、三重塔ですが屋根は六重になっています。下から1、3、5番目の屋根が「裳階(もこし)」です。相輪を含んだ高さは、34.1mです。
塔の上層部を「相輪(そうりん)」と言い、その更に上部、先端部に4枚の青銅製「水煙(すいえん)」が祀られています。これは、「尊い塔が火災にあわぬように」との願いをこめて祀られており、水煙には24体の飛天像が透かし彫りされています。その飛天像は笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で、晴れ渡った大空に御仏を讃えています。また相輪の中心部の柱の最下部には「東塔檫銘(とうとうさつめい)」と称される銘文が刻まれており、薬師寺の創建と本尊造立の趣旨が漢文で記されています。
塔の建築年代については、飛鳥の本薬師寺から移築されたとする説と、平城京で新たに建てられたとする説とがありますが、「扶桑略記」の記述の通り、730年(天平2年)に平城京にて新築されたとする説が有力です。
当初、東塔と西塔の初層内部には釈迦八相(釈迦の生涯の8つの主要な出来事)を表した塑像群(東塔には前半の四相)が安置されていましたが、破損のため室町時代に取り払われ、塑像の断片や木心が別の場所に保管されています。現在の初層には木造の仏壇があり、四隅には平安時代の四天王像が安置されています。また、1992年(平成4年)に大川逞一仏師による「釈迦苦行像」が奉安されました。
塔は本来、お釈迦様のお墓を意味していました。インドで梵語のストゥーパが音訳されて卒塔婆「そとうば」となり、それが「塔婆」、更には「塔」と表現されるようになりました。お釈迦様の「ご遺骨(仏舎利:ぶっしゃり)」を埋葬して盛り土をしたものが原型です。その塔婆を遠くからでも拝めるように、また尊敬の気持ちから、より高い台の上にお祀りするようになりました。
2009年(平成21年)から解体修理が行われており、2020年春に完了する予定だそうです。このため、残念ながら東塔を拝むことはできませんでした。東塔は1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されています。
・西塔
西塔は、東塔と対称的な位置に建っています。旧塔は1528年(享禄元年)に兵火で焼失し、現在ある塔は1981年(昭和56年)4月に伝統様式・技法(白鳳様式)で再建されたものです。デザインは東塔と似ていますが、東塔が裳階(もこし)部分を白壁としているのに対し、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いがあります。東塔も元々は連子窓であったようですが、後世の修復で白壁にされたようです。

・金堂
金堂は、1976年(昭和51年)の再建です。創建時は二重ニ閣、五間四面、瓦葺きの建物で、各層に裳階(もこし)を付けた美しい堂で、「竜宮造り」と呼ばれるものでした。享禄元年(1528年)の豪族の戦火に巻きこまれて西塔などと共に焼け落ちました。
その後、豊臣家が金堂の仮堂を建て、さらに本格的な金堂の再建に取りかかる予定でしたが、豊臣家滅亡などにより400年近く仮堂のままの状態でした。そのため、金堂の再建は歴代の薬師寺住職にとって悲願中の悲願でした。1967年(昭和42年)に高田好胤(高田好胤師)が管主に就任すると百万巻写経勧進による金堂再建を提唱し、全国に写経勧進に歩いて供養料を集めました。その結果、1971年(昭和46年)に金堂の起工式が行なわれ、1976年(昭和51年)4月に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興しました。
金堂の堂内には、奈良時代における仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊の薬師三尊像(銅造薬師三尊像、国宝)が安置されています。


・大講堂
大講堂は、2003年(平成15年)の再建です。正面41m、奥行20m、高さ17mあり、薬師寺の白鳳伽藍最大の建物です。講堂が寺院の中心的建造物である寺の本尊が安置される金堂より大きいのは古代伽藍の通例とされ、南都仏教が教学を重んじ、講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃(こうさん)したためです。
特に薬師寺では平安時代に「南京三会(なんきょうさんえ)」の1つ、「最勝会(さいしょうえ)」の道場となり、勅使を迎えた法会が毎年、盛大に営まれました。692年(持統6年)の最勝会では、持統天皇が天武天皇の菩提を弔うために奉安した高さ3丈(8.9m)、広さ2丈1尺8寸(6.5m)の阿弥陀浄土を写した大繍仏像が正面に祀られました。
金堂の本尊、薬師如来像が持統天皇の病気平癒の願いを込めて天武天皇が発願されたのはよく知られており、これによって薬師寺白鳳伽藍は、天武・持統二代の天皇の夫婦愛が金堂と大講堂に込められていることになります。

・東院堂
東院堂は、養老年間(717年~724年)に吉備内親王(きびないしんのう)が母である元明天皇(げんめいてんのう)の冥福を祈願し、建立された東禅院が前身とされています。奈良時代は現在地の東側、観音池に南面して建てられていましたが、973年(天禄4年)の火災で焼失しました。
現在の建物は桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺で、1285年(弘安8年)に南向きに再建されましたが、1733年(享保18年)に西向きに変えられました。高い基檀の上に建っているのは、水害、湿気を避けるためであり、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例です。
堂内には、白鳳仏を代表する国宝、聖観世音菩薩が安置され、その四方には鎌倉時代の四天王像が安置されています。東院堂は1961年(昭和36年)4月27日に国宝に指定されています。

・回廊
1984年(昭和59年)に再建された中門を中心に両側に伸びているのが回廊です。藤原京にあった頃の薬師寺では単廊だったと推測されていますが、平城京の薬師寺は複廊と呼ばれる2重構造になっています。



・食堂(じきどう)
食堂は僧侶が斎食をするための建物で、僧侶約300人が一堂に会する規模であったことが、発掘調査によって判明しています。「薬師寺縁起」によると食堂の規模は東大寺、大安寺に次ぐ大きさとされており、その記録がほぼ裏付けられています。
創建当初の建物は730年(天平2年)頃に建てられたと考えられていますが、973年(天禄4年)に焼失しました。その後、1005年(寛弘2年)に再建されましたが、正確な年代は不明ですが、再び失われました。
薬師寺が1968年(昭和43年)から続けている写経の納経料を資金とした白鳳伽藍復興事業の一環で、2017年5月に再建されました。
今回再建された食堂は、南北約16m、東西約41m、高さ約14mの規模で、内部には日本画家の田渕俊夫氏が手掛けた6m四方の食堂本尊「阿弥陀三尊浄土図」を中心に、14面からなる大壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が全長50mにわたって並んでいます。また、天井部分には金色に輝く雲海が広がり、伝統様式と現代建築が融合した空間となっています。

・聚寶館(しゅうほうかん)
薬師寺が所蔵する文化財などを展示、また様々な企画展示を開催するために設けられた建物です。「東大寺ミュージアム」や「興福寺国宝館」のように決まった展示が行われる「博物館」というよりは、多目的に利用される展示空間です。

・鐘楼

・薬師寺
住所:奈良県奈良市西ノ京町457
電話:0742-33-6001
営業時間:8:30~17:00
定休日:無
駐車場:有
アクセス:近鉄、橿原線、西ノ京駅から徒歩2分
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