出雲大社

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更新日:
 2021年6月6日




◎出雲大社(2021年4月11日)
 縁結びの神、福の神として名高い「出雲大社」は「いづもたいしゃ」と呼ばれることが多いですが、正式な読みは「いづもおおやしろ」です。明治時代初期までは杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。境内の広さは約2万7000平方メートルで、国宝の本殿を中心に拝殿、摂社8社、末社3社、文庫、宝庫、彰古館などが建ち並んでいます。
 「出雲大社」は、「因幡のしろうさぎ神話」で有名な大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)をお祀りしています。大国主大神は「だいこく様」とも呼ばれますが、幾多の困難を越えて国土を開拓された国造りの神様です。日本最古の歴史書といわれる「古事記」に記される国譲り神話では、大国主大神が築いた国は「豊葦原の瑞穂国」と呼ばれ、あらゆるものが豊かに、力強く在る国でした。大神様は国造りの後、築かれた国を私たち日本民族を遍く照らし治める高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)にお還しになりました。そこで天照大御神は国づくりの大業をおよろこびになり、国譲りの代償として造営された壮大な宮殿が出雲大社の始まりといわれています。ちなみに「日本書紀」では「天日隅宮(あめのひすみのみや)」と表記されているそうです。
 大国主大神は「八千矛神(やちほこのかみ)」、「大穴持神(おおなもちのかみ)」など、多くの別名があり、古来より朝廷や武家をはじめ、多くの崇敬を集めてきました。「出雲国風土記」には、大国主大神のために大勢の神々が集まって宮を寸付(きづ)いたと記されており、これより「杵築(きずき)大社」と呼ばれました。
 出雲大社は、少なくとも8世紀には大きな社が建てられていたといわれます。平安時代中頃に貴族の子供たちが教科書として用いた「口遊(くちずさみ)」には、「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という当時の大型建造物を示す記述があり、出雲大社が最も大きく、次いで奈良の大仏殿、3番目が京都の大極殿であったことが分かります。
 社伝によれば、出雲大社本殿の高さは、最古は32丈(約96m)あり、その後16丈(約48m)になったといい、現在は約24mです。「口遊」に登場する平安時代の出雲大社は、16丈の壮大な建物であったといわれています。
 現在の境内は、江戸時代前期、1667年(寛文7年)の造営遷宮で計画されたもので、今もその時の建物が多く残っています。現在の本殿など瑞垣内のお社は、その次の1744年(延享元年)の造営遷宮で建て替えられたものです。3年半の歳月を要して完成し、高さは24m、神社建築としては国内最大級で、1952年(昭和27年)には国宝に指定されています。
 出雲大社の本殿は「大社造」と呼ばれ、伊勢神宮の「神明造」とともに神社建築様式の二大源流です。切妻妻入(きりづまつまいり)で9本の柱を田の字型に配し、中央には直径1mを超える心御柱(しんのみはしら)が立ちます。正面と背面の中央には棟木まで伸びる宇豆柱(うずばしら)が立ち、戸口を中央に作れないため、東の間に御扉(みとびら)、木階(きざはし=階段)、階隠(はしかくし=階段上の傾斜した屋根)を設けています。
 屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、屋根面の広い部分は一般的に長さ76cmの檜(ひのき)の皮を12mmずつずらして重ね、竹の釘で葺きますが、出雲大社本殿は長さ121cmの皮を9mmずつずらして葺いています。重なる部分が多くなるため、檜皮葺の厚さは20cmにもなります。また軒先の厚い部分は60〜90cmもの厚さになっています。
 また、本殿西の神楽殿にある長さ13m、周囲9m、重さ5tのしめ縄は日本一の大きさです。さらに参道入口から進んだ場所に並ぶ見事な枝振りの松並木は「松の馬場」とも呼ばれ、日本の名松100選にも指定されています。

・一の鳥居



・二の鳥居



・祓社(はらえのやしろ)



・三の鳥居



・松の参道



・四の鳥居



・ムスビの御神像











・神馬像



・神牛像



・拝殿





・本殿





・八足門(やつあしもん)



・観祭楼(かんさいろう)



・会所(かいしょ)



・神楽殿



・彰古館



・勢溜から一の鳥居を望む



・出雲大社
 住所:島根県出雲市大社町杵築東195
 電話:0853-53-3100
 営業時間:6時〜18時
 定休日:無
 料金:大人円
 駐車場:有
 アクセス:一畑電車、大社線、出雲大社前駅から徒歩約4分