宍道湖(しんじこ)

  メニュー

TOPページ 

観光地 

地域情報 

日本のホテル 

日本のニュース 

日本について 

美味しいもの 

海外事情 

海外のホテル 

食品の話 

雑学 

用語辞典 

リンク 


更新日:
 2019年4月26日



◎宍道湖(しんじこ)(2019年4月11日)
 宍道湖(しんじこ)は、島根県松江市と出雲市にまたがる湖で、一級水系の斐伊川(ひいかわ)の一部です。宍道湖は、松江市内を流れる大橋川から中海につながり、さらに境水道を介して日本海へとつながっています。そのため淡水に海水が入り混じった汽水湖となっており、最大深度は6m、淡水魚と海水魚が共存する魚種豊富な湖です。
 島根県北東部に位置する「宍道湖」は約1万年前に形成されたといわれる湖で、東西約17km、南北約6km、周囲47kmで、日本国内で7番目の面積を誇ります。西日本有数の水鳥の渡来地でもあり、240種以上の鳥類が生息するといわれています。中でも冬の宍道湖に最も多く渡来するカモ「キンクロハジロ」は2万羽近くにもなり、他にも「スズガモ」や「マガン」など、毎年4万羽以上の数を確認しています。2005年には湿地の保全を目的とした国際湿地条約である「ラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)」に登録されました。
 国内最大級の漁獲量を誇るヤマトシジミをはじめ、スズキ、モロゲエビ、ウナギ、アマサギ(ワカサギ)、コイ、シラウオは、「宍道湖七珍(しんじこしっちん)」と呼ばれ、島根県の名物郷土料理になっています。また、それぞれの頭文字を取って「すもうあしこし」と呼ばれています。
 「宍道湖(しんじこ)」は、何故、この漢字で「しんじこ」と読むのでしょうか。元は「ししじ」だったものが転化し、「しんじ」になったと言われています。この「ししじ」は何かと言うと、出雲国風土記では、大国主命(おおくにぬしのみこと)が犬を連れて猪狩りをした時、2匹の猪が逃げた道があり、これが「猪の道 =猪道(ししじ)」と呼ばれたとあるそうです。この「ししじ」が転化し、「しんじ」になったと考えられているそうですが、何故、漢字が「宍」に変わっているのか説明できません。「宍」は「動物の肉、人間の体」などの意味です。「猪」を「宍」に変える理由が分かりません。どうやら謎のようです。
 宍道湖には、1つだけ島が浮かんでいます。「嫁ヶ島」という島で全長は約110m、幅27m、周囲約240mの扁平で小さな島です。宍道湖自体は、約1万年前に浅い海の部分が堆積物でせき止められて形成されたと考えられています。嫁ヶ島は、さらに時間が経過し、今から約1200万年前、第三紀中新世の火山活動で噴出した黒色の溶岩、玄武岩でできたと考えられています。
 昔、嫁ヶ島は「蚊島(かしま)」と呼ばれていました。出雲に伝わる神話などが記された「出雲風土記」には「蚊島」と記載されています。島の周囲は約110mとあり、現在の半分以下の大きさしかなかったようです。島の中央に小さな木が一本生え、磯に貝や海藻があると記されています。
 「嫁ヶ島」には、悲しい伝説があるそうです。昔、嫁ぎ先の姑に毎日いびられ、我慢の限界になった嫁は、ある冬の寒い夜、とうとう嫁ぎ先を飛び出し、実家へ戻ろうとしました。一刻も早く実家へ帰りたい嫁は、ちょうど氷が張った宍道湖を渡っていけば近道と考え、湖面を横断して道を急ぎました。ところが、何かのはずみで突然、氷が割れ、嫁はそのまま冷たい湖底に沈んでしまいました。これを見ていた水神様が嫁を哀れに思い、夜が明ける前に小さな島を浮き上がらせて、嫁の亡骸を引き上げました。嫁の亡骸と共に湖面に現れた島だから、「嫁ヶ島」と呼ぶようになったという話です。
 ただ、実際には「嫁ヶ島」が浮かび上がる前から「蚊島」があった訳ですから、中世に「蚊島(かしま)」から「嫁島(かしま)」に表記が変化し、次第に「嫁ケ島」という名前が定着していったと考えられているようです。2021年3月には国の登録記念物となり、宍道湖の夕景に欠かせない島として知られています。
 江戸時代に松江藩二代藩主、堀尾忠晴が竹生島神社の祠を祀り、数本の松を植えました。1907年(明治40年)に鳥居が寄進されたものの、松は数本のままでした。松江出身の政治家、首相も務めた若槻礼次郎は、首相退任後の1935年(昭和10年)4月、嫁ケ島を訪れ、島について詠んだ漢詩を残しました。若槻は宍道湖畔の料亭、魚一(うおいち)で昼食休憩した時、「嫁ヶ島には婿さんがない」と話し、植樹を提案しました。そして翌1936年(昭和11年)、婿にみたてた松の木70本が島に植えられました。現在では27本の松が生育しています。







・嫁ヶ島