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更新日:
2016年11月16日
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◎岡山後楽園(2016年11月11日)
岡山後楽園は、江戸時代を代表する大名庭園の1つです。岡山藩2代藩主、池田綱政(いけだつなまさ)が藩主のやすらぎの場として、家臣の津田永忠に命じて、1687年(貞享4年)に着工、1700年(元禄13年)に一応の完成をした庭園です。その後も藩主の好みで手が加えられ、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられています。
池田綱政が作らせたのは、藩主の居間、延養亭(えんようてい)や、園内に点在する建物の座敷から眺望を楽しむことができる庭でした。しかし、池田綱政の子、池田継政(つぐまさ)は能舞台周辺の建物を大きく改築し、園内中央に唯心山を築き、そのふもとに水路を巡らせ、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池を掘らせました。
このような改変によって、庭を巡り歩いても楽しい回遊性が備わりました。継政の孫、池田治政(はるまさ)は倹約のため、田畑の耕作に当たっていた人々をやめさせ、一時的に芝生の庭園となりましたが、その後、すぐに園内東の大半は田畑に戻りました。現在の井田(せいでん)は、その時の名残です。
広い芝生地や池、築山、茶室が園路や水路で結ばれ、歩きながら移り変わる景色を眺めることができるよう工夫された回遊式庭園です。全長約640mの「曲水」が園内を巡り、池や滝になって優れた水の景色を作り上げています。また、園内には藩主の居間であった「延養亭」や「能舞台」など、歴史的な建物があります。
元々は「岡山城の後ろに造られた園という意味で「後園」、「御後園」と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に岡山藩の第10代の藩主(最後の藩主)であり、岡山藩知事をしていた池田章政が「御後園」を「後楽園」と改めました。また、1884年(明治17年)には名園保存を目的に岡山県に譲渡されました。当初は公園ではなく県庁付属地として公開されたため、日没閉門などの決まりを作って保存が図られました。
その後、1934年(昭和9年)の水害、1945年(昭和20年)の戦災に遭いましたが、江戸時代の絵図などに基づいて復旧がはかられ、江戸時代の姿を大きく変えることなく今日に受け継がれています。1952年(昭和27年)11月22日に文化財保護法による「特別名勝」に指定されました。現在では水戸の偕楽園、金沢の兼六園と共に「日本三名園」の一つとも称されています。




・岡山後楽園
住所:岡山県岡山市北区後楽園1-5
電話:086-272-1148
営業時間:8:00〜17:00
定休日:無
駐車場:普通車570台、バス10台(有料)
アクセス:JR、岡山駅から徒歩約25分
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