吉香神社(きっこうじんじゃ)

  メニュー

TOPページ 

観光地 

地域情報 

日本のホテル 

日本のニュース 

日本について 

美味しいもの 

海外事情 

海外のホテル 

食品の話 

雑学 

用語辞典 

リンク 


更新日:
 2019年4月26日



◎吉香神社(きっこうじんじゃ)(2019年4月11日)
 「吉香神社(きっこうじんじゃ)」は、山口県岩国市にある岩国城址の南麓にある吉香公園(きっこうこうえん)にある神社です。江戸時代、岩国藩主であった吉川家の歴代の神霊を祀っている神社です。御祭神は、吉川経義(祖1)、吉川友兼(祖2)、吉川経基(祖11)、吉川興經(祖14)、吉川元春(祖15)、吉川元長(祖16、0)、吉川廣家(1)、吉川廣嘉(3)、吉川経幹(14)の9柱です。
 もともとは毛利元就(もうりもとなり)の次男で吉川氏14代、吉川興経(きっかわおきつね)の養子となった吉川元春が、1573年(元亀4年)5月に安芸国山県郡新庄村(現、広島県山県郡大朝町大字新庄)の竜山八幡宮の境内に養父の吉川興経(1550年11月5日(天文19年9月27日)没)の霊を祀った社を創建したのが始まりです。この社は「光大明神社」と号したそうです。後、1641年(寛永18年)に「霊社大明神」と改号され、さらに1710年(宝永7年)に「鋒垂明神」と改号されたそうです。
 一方、吉川元春の三男で、吉川元春の二代後の吉川家当主であった吉川広家は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、雲州から岩国に移封されました。この時、岩国横山に居館を構え、築城し、岩国初代領主として岩国を治めていきました。
 1711年(正徳元年)に安芸新庄の鋒垂明神を、岩国錦見の椎尾八幡宮境内に分祀勧請することになり、翌1712年(正徳2年)3月、椎尾境内に鋒垂明神仮殿が新築され、1714年(正徳4年)3月、横山寺谷の奥へ遷宮されました。さらに1728年(享保13年)に岩国横山地区の白山比盗_社(しらやまひめじんじゃ)境内に社殿を改築して遷官し、「鋒垂大明神」と号したそうです。この社殿が現在の吉香神社だそうです。後、1744年(延亨元年)9月に「治功大明神」と改号されました。
 1793年(寛政5年)7月には、横山白山神社境内に「高秀神社(吉川経義を祀る)」と、「鎮昭神社(吉川広家を祀る)」の両社を創建し、翌1794年(寛政6年)2月、両神社を遷宮しました。
 その後、明治となり、1869年(明治2年)の版籍奉還、1871年(明治4年)の廃藩置県の後、最後の岩国藩主であった吉川経健(きっかわつねたけ)は東京移住を命じられました。この時、治功社(治功大明神)、高秀社(高秀神社)、鎮昭社(鎮昭神社)の3社は廃社となる予定だったそうです。しかし1873年(明治6年)、岩国城下の旧士民達が吉川家に、二社を治功社に併合して一社とし、祭神も吉川元春と吉川経幹を加えて5柱(経義、興経、元春、広家、経幹)とし、「吉香神社」と号し、残すよう懇願したそうです。翌1874年(明治7年)4月、県から許可が下りました。
 その後、1879年(明治12年)に吉香神社が郷社とされた時、吉川友兼、吉川経基、吉川元長を加えて、祭神が8柱となりました。さらに1885年(明治18年)に吉香神社を白山比盗_社境内から現在地の居館跡へ移転し、県社とされました。この時、屋根が葺き替えられています。
 1950年(昭和25年)11月、祭神に吉川広嘉を加え、現在の9柱になりました。さらに1964年(昭和39年)3月、祭神に吉川家の正統19柱を合祀し、祭神は28柱になったそうです。本殿、拝殿、神門が同一時期の建築で現代まで残っているのは大変貴重で、1988年(昭和63年)に山口県の有形文化財に指定されています。
 1991年(平成3年)9月27日に山口県を直撃した台風19号によって吉香神社は甚大な被害を受けました。そこで1993年(平成5年)〜1998年(平成10年)にかけて本殿、拝殿、神門の保存修理事業が行われました。2004年(平成16年)12月10日には、国の重要文化財に指定されました。





















・褒忠社









・東鳥居





・錦雲閣





・吉香神社(きっこうじんじゃ)
 住所:山口県岩国市横山2-8-10
 電話:0827-41-0600
 営業時間:7:00〜17:00
 定休日:無
 料金:無
 アクセス:JR、西岩国駅から約2.7km