瑠璃光寺

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更新日:
 2012年4月26日



◎瑠璃光寺(2012年4月15日)
 瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口県山口市香山町にある曹洞宗の寺院です。山号は保寧山、本尊は薬師如来です。瑠璃光寺には、少し、複雑な歴史があります。
 室町時代、大内氏前期全盛の頃、大内氏25代、大内義弘が現在の場所に石屏子介禅師を迎え、香積寺を建立しました。しかし大内義弘は、1399年(応永6年)に応永の乱を起こし、足利義満と泉州で戦い、敗れて戦死しました。大内義弘の弟である26代、大内盛見(もりはる)が兄を弔うため、ここに五重塔の建設を開始しましたが、大内盛見自身も九州の少弐氏、大友氏との戦いで1431年(永享3年)に戦死してしまいました。しかし、五重塔の建設は続けられ、1442年(嘉吉2年)頃、完成しました。
 一方、現在地とは異なる山口市仁保小高野に瑠璃光寺というお寺がありました。こちらは陶(すえ)氏6代、陶弘房が応仁の乱で戦死したため、夫人(仁保氏13代盛郷二女)が夫の菩提をとむらうために、1472年(文明3年)に建立したお寺で、当初は安養寺と呼ばれていました。その後、1492年(明応元年)に陶弘房の25回忌に寺を改装し、寺号を陶弘房の法号(戒名、瑠璃光寺殿文月道周大禅定門)から、「瑠璃光寺」と改められました。
 2つのお寺は、それぞれ別の歴史を持っていると思いますが、1600年(慶長5年)9月15日、関ヶ原の戦い後、西軍の総大将とされた毛利輝元は10月10日、家康の命により、それまでの山陽・山陰8ヶ国の所領から周防・長門2ヶ国の29万8千石に減封され、萩に居城を築くことになりました。そして毛利輝元は1604年(慶長9年)に香積寺を萩に移しました。
 しばらく、そのままだったようですが1690年(元禄3年)に仁保小高野の瑠璃光寺が香積寺跡地に移されました。これが、現在に続く山口市香山町の瑠璃光寺です。瑠璃光寺にある五重塔は、香積寺の遺構です。すなわち現在の瑠璃光寺は、香積寺と仁保の瑠璃光寺が合わさったものだと言えます。
 五重塔は柱間が三間四方(5.11m)で、高さは31.2m、屋根は桧皮葺きです。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺と並び、日本三名塔の1つに数えられることもあるそうです。1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定されています。















・瑠璃光寺
 住所:山口県山口市香山町7-1
 電話:083-922-2409
 アクセス:JR、上山口駅から約2km