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更新日:
2019年4月26日
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◎古高松忠魂社(ふるたかまつちゅうこんしゃ)(2017年11月5日)
「古高松忠魂社(ふるたかまつちゅうこんしゃ)」は、JR屋島駅を降りて、八島神社に向かう道の途中にあります。「古高松(ふるたかまつ)」とは、香川県高松市東部にある一地区です。かつては「木田郡古高松村(ふるたかまつむら)」という地名でしたが、1940年(昭和15年)2月11日に高松市に編入され、現在は春日町、新田町、高松町という3つの町名になっています。この地区は古くから港町として開けた地域で、もともと「高松」と呼ばれており、16世紀終わりまでは、この地域が高松の中心だったそうです。
南北朝時代の守護大名、舟木頼重(高松頼重)は後醍醐天皇から讃岐国高松荘を与えられ、この地に城を築き、喜岡城(別名、高松城)と呼ばれていました。1335年(建武2年)11月26日、足利尊氏の家臣、細川定禅の軍勢に攻められ、老父一族14人と郎党30余人が討死し、落城しました。
その後、ここ高松城で高松左馬助頼邑が高松庄を領していましたが、1585年(天正13年)4月26日に豊臣秀吉の四国征伐の一隊(宇喜多秀家ら7将の兵)、約2万3千の攻撃を受け、手兵100人余と、香西氏が派遣した唐渡弾正、片山志摩の率いる兵、合わせてわずか200人で勇敢に戦ったものの、城兵一人残らず討死したそうです。
織田信長の従兄弟にあたり、織田信長死後は秀吉の家臣となっていた生駒親正(いこまちかまさ)は、1595年(文禄4年)に讃岐国12万6千200石を与えられ、現、玉藻町に新しい城を築いて「高松城」と名付けました。生駒親正は高松城と丸亀城を築城し、城下町を整備していきました。これによって高松城の城下町が「高松」と呼ばれるようになり、もともとの高松であったこの地は「古高松(ふるたかまつ)」と呼ばれるようになったそうです。
喜岡城の跡地には1592年(文禄3年)に古高松村の旦那衆を中心として堂宇が建築され、「喜岡寺」というお寺になっています。この喜岡寺には唐渡弾正、片山志摩、高松頼邑の墓があるそうです。
古高松忠魂社は1925年(大正14年)に建てられました。喜岡城での2度にわたる戦いで亡くなった人達と、明治以降の各戦役において国難に殉じた古高松区の戦没者を供養しています。太平洋戦争では古高松地区から1500人余りが出征し、このうち200数十人の方が亡くなっており、これらの方も合祀されているそうです。1997年(平成9年)に改修が行われており、春には毎年、戦没者の慰霊祭が開かれています。





・古高松忠魂社(ふるたかまつちゅうこんしゃ)
住所:香川県高松市高松町91-6
定休日:無
料金:無
駐車場:無
アクセス:JR、屋島駅から徒歩約1分
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