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更新日:
2018年1月3日
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◎石清尾八幡宮(2017年4月10日)
高松市にある八幡宮で、高松の氏神として市民に親しまれています。山裾に位置し、長い階段を上った先の社殿は厳かな雰囲気に包まれています。現在の社殿は1666年に高松藩主によって移されたものです。
起源は918年(延喜18年)、八幡大神様が赤塔山(現在の石清尾山)山上に現れたので、近隣の人々が敬いお祀りしたという説と、当時の国司であった藤原保忠公が京都の石清水八幡宮の御分霊を戴き、亀ノ尾山にお祀りしたため「石清水」と「亀の尾」が合わさったという説があるそうです。
石清尾(いわせを)八幡宮の社名の由来は、当時社殿があった赤塔山が亀ノ尾山塊の山裾にあたり、「石清水」と「亀の尾」を一つにあわせて「石清尾」になったと言われているそうです。
古来、この周辺は現在の八幡宮近くまで海であり、亀がたくさん這い上がって来ていたことから「亀命山」や「亀阜」など、「亀」がつく地名が多く見られます。
南北朝時代には、ここ讃岐を治めていた右馬頭(うまのかみ)細川頼之公が当宮への崇敬の念篤く、社殿を拡張し、多宝塔を建立し、武具を奉納されました。
1587年(天正15年)には讃岐守、生駒親正公が高松城を造営し、城下町を整えた際、当宮を府城の鎮護と崇め、社殿を改築し、社領を寄進されました。
江戸時代に入り、1642年(寛永19年)高松藩主となった松平頼重公も当宮を崇拝し、社殿を造営し、社領と多数の宝物を寄進されました。
その後、1705年(宝永2年)三代藩主松平頼武公も社殿を改修され、歴代藩主は毎年当宮を参拝することになりました。
1872年(明治5年)には「懸社」に列せられました。
不幸にも、創建後320年に及ぶ本殿をはじめ、幣殿、上拝殿の3殿は1986年(昭和61年)に焼失しましたが、1989年(平成元年)に氏子崇敬者の浄財により復興されました。また1994年(平成6年)には神輿舎を新築しました。
祭神は足仲彦命(仲哀天皇)、誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)で、石清尾山の山頂に現れた八幡大神は応神天皇のことを指します。境内には香川県神社庁が所在しています。
神功皇后は出産にまつわる逸話が多く残っており、御子である応神天皇を困難のなか無事に出産したことから安産の神様として全国で信仰されています。このため石清尾八幡宮も古くから安産祈願のために多くの妊婦さんが訪れています。
また、石清尾八幡宮の近くには「髪授神祠」という髪の神様が祀られています。理美容系の職種の方が多く訪れるのですが、赤ちゃんの髪を奉納すると、将来、若ハゲを防いでくれるといわれています。
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