浪打八幡宮(なみうちはちまんぐう)

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更新日:
 2018年11月25日



◎浪打八幡宮(なみうちはちまんぐう)(2017年11月5日)
 「浪打八幡宮(なみうちはちまんぐう)」は、瀬戸内海を臨む香川県三豊市にある神社です。非常に歴史が古い神社で、創建は推古天皇12年(604年)まで遡るそうです。御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后です。
 文武両道に優れた第31代天皇である敏達天皇の皇子である高村親王が、敏達天皇の命令で東国の夷狄退治に向かい成果を挙げ、続いて推古天皇の勅命で南海の大乱を平定させ、その後は讃岐三野郡詫間に御殿を造営し、安居されていました。そして推古12年(604年)8月14日の夜、高村親王は夢の中で高波の中に浮かぶ光る物を見つけ驚き、それを手に取ると木像だったそうです。そして、その金色の木像が「我は敏達天皇が彫った八幡神で、敏達天皇崩御(585年)の後、内裏の宝蔵の中に納められ誰にも見向きされなくなってしまった。この度は子孫である高村親王を懐かしく思い、難波の港より青々たる海を移動して詫間の入江にやってきた。これから先はこの地に留まろうと思う」と話したそうです。高村親王はこの託宣に驚き、八幡神を浪打八幡宮の主祭神として祀ることを推古天皇に進言し、詫間荘の霊験あらたかな守護神として祀られることになったそうです。また、高村親王は浪打八幡宮の建立に合わせて、都より中臣氏の宿禰(すくね)職である宝寿彦を別当として呼び寄せ、敏達天皇がお造りになった八幡神像を大切に安置してお祀りしたそうです。
 平安時代の嘉祥3年(850年)には、嵯峨天皇の皇后である檀林皇后(だんりんこうごう)とその弟である右大臣、橘氏公により僧、教順が浪打八幡宮神宮の検校(けんぎょう)に命ぜられました。「西讃府志」には「詫間・比地中・吉津・仁保等の諸村より祭れり」と書かれているそうで、古くから広範囲の氏子を持ち、琴弾八幡、熊岡八幡とともに三八幡と称せられていたそうです。また、生駒家からは40石の寄進を受けていたとの記録があるそうです。















・随身門(重要文化財)



















・手水舎



・神輿殿







・祓殿



・摂社 宅間忠魂社







・参集殿



・摂社 稲荷社



・浪打八幡宮(なみうちはちまんぐう)
 住所:香川県三豊市詫間町詫間137
 電話:0875-83-3009
 アクセス:三豊鳥坂インターから車で約15分