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更新日:
2020年11月25日
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◎吹揚神社(ふきあげじんじゃ)(2017年11月5日)
「吹揚神社(ふきあげじんじゃ)」は愛媛県今治市にある今治城の中にある神社です。明治時代の廃藩置県にあたり、江戸時代の今治城下に御鎮座していた「神明宮(しんめいぐう)」、「蔵敷八幡宮(くらしきはちまんぐう)」、「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」、「夷宮(えびすぐう)」の4社を、旧社地の故をもって今治城内に合祀社殿として造営したものです。
「神明宮」は、旧神明町(現在の共栄町)にあり、地域の守護神として崇められてきました。古くから町民の暮らしを見守り、豊作や平和を祈願する神社として大切にされていました。
「蔵敷八幡宮」は、今治城の城内にありましたが、城の建設に伴って、別の場所に移されていました。八幡宮は武神を祀る神社として、武家社会でも強い信仰を集めていた神社です。
「厳島神社」は、蒼社川のほとりに鎮座していましたが、川の改修工事によって別の場所に移動されていました。厳島神社は水の神様を祀り、川や海の守護として、漁業や水運に携わる人々から厚く信仰されていました。
「夷宮(えびすぐう)」は「美保神社(みほじんじゃ)」、「夷子宮(えびすぐう)」、「蛭子神社(えびすじんじゃ)」とも呼ばれ、風草町にありました。この神社は商売繁盛や海上交通の安全を願う神社として、地元の商人や船乗りたちに篤く信仰されてきました。
1872年(明治5年)11月19日に遷座し、今治城の旧城名、「吹揚城(ふきあげじょう)」から「吹揚神社」と名付けられました。今治城は瀬戸内海に面しており、周囲は「砂が吹き上げられてできた浜」として知られていた「吹揚の浜」という砂丘地帯でした。このため「吹揚城(ふきあげじょう)」と呼ばれていたそうです。
その後、吹揚神社は天満宮など市内の他の神社を次々と合祀しました。その結果、吹揚神社は多数の御祭神を仰ぐに至り、合祀された境内社は5社、独立した境内社が3社となりました。
1939年(昭和14年)に台湾檜(たいわんひのき)を使用して社殿が新築されました。台湾檜は大口径であり、大径材が必要な柱や梁として日本の神社仏閣で広く用いられている木材です。特に木目が通直で肌目が緻密、光沢があり、耐久性にも優れているため、多くの重要な建物に使われてきました。首里城や明治神宮の大鳥居、東大寺の大仏殿などにも使われています。
しかし、1945年(昭和20年)の今治空襲で全焼しました。その後、1958年(昭和33年)に戦災からの復興を完了し、1972年(昭和47年)には吹揚神社御鎮座100年祭が執り行なわれました。この吹揚神社の御鎮座百年祭を記念した事業では、今治城の歴史を反映した重厚な城郭式の神門や、境内末社がすべて新しく建て直されました。
しかし、1980年(昭和55年)9月に放火による悲劇に見舞われ、城郭式神門、境内未社、本殿、拝殿が焼失しました。その直後、地域の人々や神社の崇敬者が立ち上がり、奉賛会が結成され、多くの人々の御奉賛と協力によって1983年(昭和58年)3月、新しい本殿が竣工し、神社は再び地域の信仰を支える場として蘇りました。
吹揚神社の正面には大きな御社殿があり、ここには天照御大神が祀られています。また吹揚神社には、今治城の過去の姿を知る貴重な資料である「今治城図」が残されています。これは絵師、沖冠岳によって描かれたものです。







・吹揚稲荷神社


・住吉神社、猿田彦神社





・麁香神社(あらかじんじゃ)
建設業の神様を祀っています。



・土居神社
安産の神様として知られており、子宝や安産を祈願する多くの参拝者が訪れています。



・吹揚神社(ふきあげじんじゃ)
住所:愛媛県今治市通町3-1-3
電話:0898-22-0369
駐車場:有
アクセス:西瀬戸自動車道、今治ICから車で約15分
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