湯神社(ゆじんじゃ)

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更新日:
 2020年11月25日



◎湯神社(ゆじんじゃ)(2020年11月5日)
 「湯神社(ゆじんじゃ)」は、愛媛県松山市市街地の東部、道後温泉近くの冠山山頂に鎮座する神社です。景行天皇が皇后、八坂入姫命とともにこの地に行幸した際、道後温泉の守護神として、鷺谷(さぎだに)の大禅寺の前に創建されたと伝えられているそうです。鷺谷は、鷺が痛めた足を温泉に浸して治療していたとされる場所で、道後温泉発見の起源地です。その後、舒明天皇(じょめいてんのう、593年?~641年)の行幸に際し、勅命によって社殿が新築されたそうです。
 平安時代中期に編纂された律令の施行細則である「延喜式(927年(延長5年)に完成)」の「神名帳」には、湯神社は「伊予国温泉郡 湯神社」として記載されているそうです。また当時、現社地の冠山(出雲崗)には出雲崗神社が(いずものおかじんじゃ)鎮座しており、出雲崗神社は「延喜式 神名帳」に「伊予国温泉郡 出雲崗神社」として記載され、ともに式内社に列しているそうです。
 大永7年(1527年)の地震で温泉が埋没した際、、湯神社の社殿も大破したそうです。そのため湯神社は、河野通直によって出雲崗神社の境内に奉遷され、合祀されて四社大明神と呼ばれるようになったそうです。これは、湯神社が大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神を祀り、出雲崗神社が素盞鳴命(すさのをのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)の二神を祀っていたからだと思われます。
 地震などの天災によって道後温泉の湧出が止まった際に、湯神社では神楽を奉納して、祈願が行われてきたそうです。宝永4年(1707年)の地震で出湯が停止した際、藩主の名で「湯祈祷」が行われたそうです。その結果、再び温泉が出るようになったそうです。その功により湯神社は、宝永5年(1708年)に相殿から境内別社となったそうです。
 その後、明治4年(1871年)、湯神社に出雲崗神社を合祀する現在の形式となりました。参道前の社号碑は、出雲大社の第82代出雲国造、千家尊統の書です。















・中嶋神社
 1957年(昭和32年)3月、四国四県の製菓業者によって、兵庫県豊岡市にある製菓・柑橘の祖神である中嶋神社の御分霊を迎えて、四国分社として創建されました。御祭神は田道間守命(たじまもりのみこと)です。





・湯神社(ゆじんじゃ)
 住所:愛媛県松山市道後湯之町4-10
 電話:089-921-0480
 駐車場:100台
 アクセス:伊予鉄道、道後温泉駅から徒歩約5分