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更新日:
2021年6月6日
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◎はりまや橋(2021年4月11日)
「はりまや橋」は、赤い桁橋(けたばし)で、高知県高知市の中心部にある「はりまや橋公園」内にある「橋」です。この赤い桁橋は観光向けに縮小したもので、本物のはりまや橋は、すぐ隣の国道32号線にかかっている20mほどの石橋です。欄干が石造りで、車だけでなく路面電車も走っています。
漢字で「播磨屋橋」と書きますが、元々は江戸時代に高知城の堀川にかかっていた橋です。この地域の大商人であった「播磨屋」と「櫃屋(ひつや)」が、堀で隔てられた互いの商店を行き来するために架けた私橋が後に「はりまや橋」と呼ばれるようになったそうです。
橋は時代とともに何度か架けかえられ、1958年(昭和33年)には南国博覧会のため、朱色の欄干が造られました。その翌年(1959年)にはペギー葉山さんが歌った「南国土佐を後にして」という曲がヒットし、同名の映画が作られ、スクリーンに映し出された朱色の欄干が「はりまや橋」として全国に知られるようになったそうです。
現在では堀川も埋め立てられてしまいましたが、はりまや橋公園として整備した場所に赤い桁橋のはりまや橋が設置されています。
また、このはりまや橋は高知の民謡、「よさこい節」に謳われています。「よさこい節」は、囃子詞として「よさこい、よこさい」と歌われますが、その起源については諸説あり、特定されていないそうです。また、よさこい節には数百曲に及ぶ替え歌があり、どの歌がどの時代に作られたものかも分かっていないそうです。ただ、良く知られている代表的な歌詞の1つに「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」というものがあります。
元歌は「おかしな ことよな」で始まり、幕末に鋳掛屋(いかけや)お馬の歌として流行したそうです。江戸時代に恋愛禁止であった竹林寺の僧、純信と鋳掛屋の娘で20歳年下の町娘「お馬」が恋をしたそうです。純信は、はりまや橋の小間物屋で「お馬」にかんざしを買ったものの、これが噂となり、他国へ駆け落ちしたそうですが、すぐに土佐に連れ戻されてしまったそうです。その後、2人は別々の場所へと追放されてしまったという悲しい恋の話として語り継がれているそうです。はりまや橋の横には高知出身の漫画家、横山隆一氏のデザインによる純信とお馬の像が設置されています。
現在の木づくりの赤い桁橋は、1993年(平成5年)に全国から寄せられた680件の「はりまや橋」に対する整備イメージを基に、江戸期のはりまや橋として1998年(平成10年)に架け替えられたものです。





・はりまや橋
住所:高知県高知市はりまや町1丁目
アクセス:JR、高知駅から徒歩約12分
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