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更新日:
2020年11月25日
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◎岩崎弥太郎生家(いわさきやたろうせいか)(2017年11月5日)
岩崎弥太郎(いわさきやたろう)は天保5年12月11日(1835年1月9日)、土佐国、安芸郡井ノ口村一ノ宮(現在の高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮)の地下浪人、岩崎弥次郎と美和の長男として生まれた人で、三菱グループの創始者です。「岩崎弥太郎生家(いわさきやたろうせいか)」は、その岩崎弥太郎が生まれた家を修復保存した施設です。
安芸市の中心地から3kmほど離れた郊外の農村地帯にあります。岩崎家は江戸時代には農業を営んでおり、この茅葺屋根の邸宅は彌太郎の曽祖父、岩崎弥次右衛門が郷士の株を売って1795年(寛政7年)頃に建築したものとされています。当時、岩崎家は「郷士(ごうし)」の身分だったそうですが、岩崎弥次右衛門が郷士株を売って「地下浪人(じげろうにん。郷士の資格を失った家系の者)」となりました。岩崎家は40年以上、郷士職であったため、名字帯刀は引き続き許されていたそうです。
生け垣を巡らした屋敷内に茅葺の母屋や、2階建て土蔵が残る当時の代表的な中農の造りです。典型的な土佐の民家の構えである一方、玄関には武家屋敷の様式である式台(しきだい)がついています。建坪約30坪の藁葺きの平屋で、表が8帖、その脇に4帖半が2間、茶の間9帖があり、その左が通り庭、通り庭から茶の間の床下をのぞくと芋壷(芋貯蔵穴)があります。風呂と便所は別棟に設置されています。この家で岩崎彌太郎、弟の彌之助、そして長男、久彌の3人が生まれたそうです。
屋根はもともとは藁葺きでしたが、1980年の補修で茅葺きに変更されています。それ以降、職人によって定期的な補修がおこなわれており、現在も美しい屋根を保っています。また、2015年には耐震補強工事も施され、当時の面影を残しながらも未来へ残すべく大切に保存されています。
現在は竹垣で囲われた庭には、大きな石が並んでいます。これは十代の彌太郎が作ったもので、南側から見ると日本列島を模して並べられています。彌太郎少年は農作業から帰るとこの石を眺め、「日本列島は我が庭の内にあり」と語ったと言われています。
また、生家の西側と後方にある土蔵の鬼瓦には「三階菱」の岩崎家の紋がつけられています。これは、現在の三菱マークの原型といわれています。

・龍吐水
消火ポンプ。

・三階菱
岩崎彌太郎生家の西側と後方にある土蔵の鬼瓦に「三階菱」の岩崎家の紋がつけられていて、現在の三菱のマークの原型といわれています。


・日本列島を模した石組み
彌太郎生家の座敷より庭園を眺めると、小さな庭園に石組が配置されています。これは少年時代の岩崎弥彌太郎が天下雄飛の夢を託して、日本列島を模して自分で作ったものだといわれています。

・岩崎彌太郎生誕之地の記念碑
1963年に三菱グループによって建造されたもので、背面の彌太郎の功績を称える文章とあわせ、文学博士で三菱第四代社長、小彌太の師でもあった諸橋轍次の書が刻まれています。

・岩崎彌太郎銅像
昭和60年に岩崎彌太郎生誕150年を記念し、有志にて建立。平成27年3月に岩崎彌太郎生家前に移設されました。
像の高さは3.3メートル、台座の高さ1.1メートル。

・岩崎弥太郎生家(いわさきやたろうせいか)
住所:高知県安芸市井ノ口甲
営業時間:8時〜17時
定休日:月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始
料金:無
駐車場:有
アクセス:高知自動車道、南国ICから車で約50分
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