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更新日:
2013年1月3日
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◎鬼押出し園
鬼押出し園(おにおしだしえん)は、群馬県吾妻郡嬬恋村にある公園であり、経営母体は株式会社プリンスホテルです。
一帯は1783年(天明3年)におきた浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩が固まって、奇形な岩場を作っています。溶岩原野の広さは幅3km、長さ12kmで、その中には約2.7kmの長さの遊歩道があります。「火口で鬼があばれて岩を押出した」、という当時の人々が見た印象に、この岩海の名は由来しています。噴火の激しさを今に伝える景観は、世界3大奇勝の一つに数えらているそうです。
園内には東京上野の寛永寺の別院である東叡山寛永寺別院「浅間山観音堂」が設置されています。これは、浅間山噴火の犠牲になられた霊を供養するために昭和33年5月に建立され、寛永寺伝来の聖観世音菩薩が厄除観音として祀られています。毎月18日は御開扉として、御本堂の扉が開かれます。
溶岩の間には5月からイワカガミ、ツガザクラ、ミネズオウなど、可憐に咲く高山植物の姿が遊歩道から観察できます。またヒカゲ ツツジ、トウゴクミツバツツジ、ハクサンシャクナゲ、ウラジロヨウラク、ホツツジの群生も見事です。
1783年(天明3年)当時は、4月頃から火山活動が活発になってきたようです。その後、7月7日(旧暦)の夕方から激しい噴火が起き、翌7月8日午前10時頃には浅間山が光り、真紅の火炎が数百メートルも天に吹き上がり、大量の火砕流が発生したそうです。
山腹の土石は溶岩流によって削りとられ、土石なだれとして北へ流れ下っていったようです。鎌原村を直撃した土石なだれは、家屋、人々、家畜などをのみこみながら吾妻川に達したそうです。鎌原村の被害は死者477人にのぼり、生存者は鎌原観音堂に逃げ延びた93人のみだったそうです。この噴火の際、最後に流出したのが鬼押溶岩流です。(嬬恋村誌、上巻、「自然界 浅間山のおいたち・浅間山噴火史」より抜粋)
ここが「鬼押出し」と呼ばれるようになった理由は明らかになっていないようです。「上州浅間嶽虚空蔵菩薩略縁起」によると、「浅間山には“鬼”が住んでいることになっている。しかも、その鬼の行状が噴火に係わっているとみられることから、おそらく、押出しの奇異な現象を目にした里人によって、自然発生的に名付けられたものであろう。」とのことです。
この爆発の溶岩の規模は、山頂火口から北方へ約5.5km、幅は800m〜2kmとされ、その面積は6.8平方km、容積は0.2立方kmに達すると言われています。


住所:群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原1053
TEL:0279-86-4141
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