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更新日:
2015年1月3日
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◎上野恩賜公園(2015年1月3日)
東京都台東区にある公園で通常、上野公園と呼ばれますが、正式名称は「上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)」です。通常、上野公園と呼ばれています。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に位置することから「上野の山」とも呼ばれているそうです。また、日本の公園第一号が上野公園だそうです。
上野公園の敷地の総面積は約53万m2で東京都建設局の管轄です。江戸時代は寛永寺という寺の敷地だったそうです。しかし、幕末の1868年(慶応4年)7月4日の戊辰戦争において旧幕府軍の彰義隊が寛永寺に立て篭ったため、新政府軍が包囲、殲滅した(上野戦争)ため、寛永寺の伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化したそうです。
明治維新後、境内地は国家に没収され、1868年(明治元年)12月からは東京府の管理となったそうです。1870年(明治3年)3月には、民部省が営繕の材料にするために山内の木を伐り倒そうと東京府に迫ったが、断られたそうです。また、同年4月には不忍池を埋め立てて水田にする計画があったそうですが、山本復一、亀谷行の両人が、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通の政府要人を動かして埋め立てを阻止したといわれているそうです。
しかし、1870年(明治3年)5月には、寛永寺の中堂跡、すなわち現在の竹の台付近の地域が大学東校の病院建設用地に決まったそうです。寛永寺は反対の嘆願をしたのですが、受け入れられず、文部省用地となってしまったそうです。その経営は石黒忠悳、相艮知安等が任されていたそうです。丁度その頃、旧幕府の長崎医学校の教師であったオランダの一等軍医、ドクトル・ボードワン(Dr. A. F. Bauduin)が帰国する途中、上京していたので、石黒氏は彼を誘って上野の地を検分したのですが、ボードワン氏は、この地に病院を造ることば不可とし、太政官に公園建設を勧めたそうです。その結果、この地に病院を建設することは中止とされたそうです。石黒氏は、折角の計画を覆された事を憤って、ボードワン氏にその理由を質した所、「このような景勝閑雅な由緒ある地は、西欧都市の例に倣って公園とすべきである」と力説したのだそうです。(現在では、ボードワン博士は上野公園の生みの親とされ、園内には銅像が建立されています。)
一旦は、病院建設が中止となり、公園建設を検討したようですが、当時、日本にはまだ、「公園」という言葉はなかったのです。なかなか公園の建設が進まない中、1872年(明治5年)2月には、兵部省(陸軍省)の陸軍病院、陸軍墓地の用地に決定したのだそうです。多分、このような綱引きがあって、公園としての整備もできず、病院建設もできない状態が続いていたのではないでしょうか。
そのような中、1873年(明治6年)1月15日、政府は各府県に対し、公園の設定に関する通達を出しました。以下のような通達です。
正院達第拾六号府県ヘ
三府ヲ始、人民輻輳ノ地ニシテ、古来ノ勝区名人ノ致跡地等是迄群集遊観ノ場所(東京ニ於テハ金竜山浅草寺、東叡山寛永寺境内ノ類、京都ニ於テハ八坂神社境内嵐山ノ類、然テ此等境内除地或ハ公有地ノ類)従前高外除地ニ属セル分ハ永ク万人偕楽ノ地トシ、公園ト可被相定ニ付、府県ニ於テ右地所ヲ撰シ其景況巨細取調、図面相添大蔵省ヘ可伺出事
明治六年一月十五日 太政官
この太政官布達は、公園に適した場所とはどのような場所であるか、また、公園とは何かを規定し、その場所の図面など詳細を提出しろ、と言っています。すなわち、景勝地または名所、史跡などで、従来人々が遊覧、鑑賞した場所が良いと具体例を挙げて規定しています。また、公園とは、全ての国民が楽しむことができる場所とする、ということです。
この布達は「太政官布達第十六号」として有名なのだそうです。というのは、1956年(昭和31年)に都市公園法が制定されるまで、この布達だけが唯一、日本の「公園」に関する法的効力を持つものだったからだそうです。
東京府は、太政官布達の翌日、すなわち1873年(明治6年)1月16日に公園の候補地として金竜山浅草寺、三縁山増上寺、東叡山寛永寺、富岡八幡社等の境内地および飛鳥山の5ヶ所を選び、大蔵省に申請しました。飛鳥山以外の4ヶ所は全て神社仏閣の境内地でしたが、この申し出によって上野東叡山寛永寺の境内地は一部を残して「適格」と認められ、1873年(明治6年)3月に正式に公園地に指定されました。これが、日本の公園第一号、という意味です。
1875年(明治8年)には不忍池も編入し、整備が進められ、1876年(明治9年)5月9日にようやく公園の建設が完成し、開園しました。しかし、それまでは官有地第三種という区分で、東京府が管理していたのですが、1876年(明治9年)に内務省博物局の管轄となってしまいました。
さらに1882年(明治15年)には帝室の御料地となり、宮内省の管轄に置かれることとなりました。そして1924年(大正13年)に皇太子殿下(昭和天皇)の御成婚を記念して、上野動物園と一緒に東京都に下賜され、東京都が管理することとなりました。
現在では東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園などの文化施設が集中して立地している巨大な公園として市民に親しまれています。また、上野公園の入口には、彫刻家高村光雲作の西郷隆盛像があることでも有名です。

入口付近からは、東京スカイツリーが見えます。

西郷隆盛像です。

彰義隊の墓です。

小松宮彰仁親王銅像です。

上野大仏です。

パゴダ(pagoda)です。
・上野恩賜公園
住所:東京都台東区上野公園・池之端三丁目
電話:03-3828-5644
営業時間:5時〜23時
定休日:無
料金:無
駐車場:無
アクセス:JR、地下鉄銀座線、日比谷線、上野駅、徒歩2分
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