三保の松原

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更新日:
 2011年9月3日




◎三保の松原(2011年8月15日)
 三保の松原(みほのまつばら)は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地です。清水港から駿河湾に突き出した三保半島東岸に広がる三保の松原は、万葉の昔から知られた景勝地で、約7kmの海岸線に約3万本のクロマツが茂っています。駿河湾の向こうに霊峰富士を仰ぎ、松林の緑と打ち寄せる白波、海の青さが織り成す風景は一幅の絵のようです。かつては、暴れん坊将軍というテレビの時代劇のオープニングの映像(打ち寄せる波しぶきの中、白馬にまたがって海岸を駆け抜けていく暴れん坊将軍、海の向こうには雪を抱いた富士山があるという名場面です。)の撮影にも使われた場所です。
 その美しさから日本新三景、日本三大松原のひとつとされ、国の名勝に指定されています。また、2013年6月にはユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産として登録されています。
 三保松原の美しさは万葉の昔から知られていました。日本最古の和歌集である万葉集には「廬原乃 浄見乃埼乃 見穂之浦乃 寛見乍 物念毛奈信(廬原(いほはら)の 清見の崎の 三保の浦の ゆたけき見つつ 物思ひもなし)」という田口益人の歌が載っています(万葉集、巻3-296)。
 また、羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」があり、付近の御穂神社(みほじんじゃ)には羽衣の切れ端が保存されています。
 江戸時代には歌川広重の浮世絵「六十余州名所図会」に「駿河 三保のまつ原」として描かれています。
 三保の松原は1922年(大正11年)3月8日、史蹟名勝天然紀念物保存法(文化財保護法の前身のひとつ)によって、天橋立とともに日本初の名勝に指定されました。名勝指定時の面積は339.8ha(国有地62.8ha、公有地14.3ha、民有地261.3ha)、松の本数は9万3千本(一説には12万本)あったそうですが、第二次世界大戦中の松根油の採取による松林の伐採や、第二次世界大戦後の民有地開発などによって、1991年(平成3年)3月時点では198.2ha(国有地42.8ha、公有地14.3ha、民有地139.7ha)、松の本数も5万4千本に減少してしまいました。
 2014年2月23日の「富士山の日」イベントで、松の本数を調査した結果、3万699本と計測され、25年前に比べて2万本以上も減少してしまったことが分かりました。松林が徐々に枯死する松枯れが進行していることが分かっており、静岡市などが松食い虫防除のための予防剤注入やシロアリの防除を行うなどの対策に乗り出しています。
 また、松の問題だけでなく海岸の問題も起きています。もともと三保半島は安倍川から海に運ばれた土砂が駿河湾の海流に運ばれ、日本平を擁する有度山を削りながら出来た砂嘴です。何百年にわたって運ばれた土砂(漂砂)が静岡海岸、さらには清水海岸に幅百mを超える砂浜を作り、現在の清水港を囲む三保半島、および三保の松原の砂浜を形成してきました。
 しかし、1980年代から三保の松原の砂浜が海岸浸食によって消失の危機にさらされてきました。この原因は、1960年代に安倍川で大量に砂利を採取したこと、安倍川で砂防ダムや護岸工事を行ったために川から供給される砂や礫が減少し、波や沿岸流で供給される流砂と波によって侵食される土砂の需給バランスが崩れたためと考えられています。このため静岡県は1989年(平成元年)2月に海岸保全事業を策定し、海岸から100m程の地点に消波ブロックを点在して設置したり、離岸堤式ヘッドランド(人工岬)やL字突堤型ヘッドランドを設置して侵食を抑え、砂の補給による養浜対策を講じています。



住所:静岡市清水区三保