厳島、嚴島、安芸の宮島、宮島

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更新日:
 2019年4月26日



◎厳島(いつくしま)、安芸の宮島(あきのみやじま)、宮島(2019年4月11日)
 「厳島(いつくしま)」は、広島県の南西部、瀬戸内海の西部、広島湾の北西部にある面積30.39平方キロメートルの島です。幅600m程の大野瀬戸を隔てて本土と対峙しており、(フェリーの運航場所は約2kmの距離があります。)住所は広島県廿日市市宮島町です。推古天皇元年(593年)という古代に社殿が創建されたという厳島神社があることで有名な島です。「お宮(厳島神社)がある島」ということで江戸時代から「宮島」と呼ばれるようになったそうです。通称は、「安芸の宮島(あきのみやじま)」、または「宮島」です。
 厳島は、太古からその島の姿と、弥山(みせん)を主峰とする山々と、昼なお暗い原始林に覆われた山容に霊気が感じられたところから、周辺の人々の自然崇拝の対象となり、島そのものが神として信仰されていたようです。厳島中央にある弥山(標高535m)の山頂には巨石が連なっており、山岳信仰の対象であったと考えられます。「神に斎く(いつく = 仕える)島」という意味から、「いつくしま」と呼ばれるようになったようです。
 厳島神社は、推古元年(593年)に、この地方の有力豪族、佐伯鞍職(さえきくらもと)が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜の現在地に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと、いつきしまひめのみこと)を祀る社殿を創建したことに始まるとされています。
 大同元年(806年)には弘法大師空海が唐から帰朝し、京に戻る途中に厳島を見て、島から霊気を感じ、ここは霊場に違いないと思い、弥山に御堂を建て、百日間の求聞持(ぐもんじ)の修法をしました。この時、修法で使われた火が、今なお弥山霊火堂で燃え続けている「消えずの火」だそうです。
 久安2年(1146年)には平清盛が安芸守に任ぜられました。平清盛は保元6年(1156年)の高野山大塔の落慶法要の際、高野山の高僧から「厳島神社を厚く信奉して社殿を整えれば、必ずや位階を極めるであろう」と進言を受けました。そこで厳島神社を深く信仰し、当時の寝殿造りを模して造営し、また舞楽を大阪四天王寺から移したほか、平清盛をはじめ一門によって法華経を写経し、清盛の願文(がんもん)と共に奉納しました。この写経は「平家納経」と呼ばれ、1897年(明治30年)12月28日に旧国宝に指定され、1954年(昭和29年)3月20日に国宝に指定されています。(厳島神社が所蔵しており、複製の一部が厳島神社宝物館で公開されているそうです。)
 厳島は神の住む島として禁足地とされ、鎌倉時代頃までは地御前神社(じごぜんじんじゃ、広島県廿日市市地御前にある神社、外宮)で主な祭祀が行われていたそうです。人々が宮島に住み始めたのは、鎌倉時代末頃からと考えられています。初めに神職や供僧が住み、その後、庶民が住むようになったと考えられています。
 江戸時代には厳島詣が民衆に広まり、門前町や周囲は多くの参拝者で賑わったそうです。
 大正12年(1923年)には厳島全島が国の史跡名勝に指定され、昭和25年(1950年)には瀬戸内海国立公園に指定されました。また平成8年(1996年)12月には、嚴島神社が原爆ド−ムと共にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録されました。





・誓真釣井(せいしんつるい)
 僧、誓真(せいしん)が水不足を解消するために堀った井戸。



・厳島(いつくしま)
 住所:広島県廿日市市宮島町
 アクセス:宮島口桟橋からフェリーで約10分