満濃池(まんのういけ)

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更新日:
 2019年4月26日



◎満濃池(まんのういけ)(2018年11月25日)
 満濃池(まんのういけ)は、香川県仲多度郡まんのう町にある日本最大の灌漑用のため池です。満濃池は人が造った池で、いわゆる水を貯めるためのダムです。上空から見ると手を広げたような形をしており、その貯水量はオリンピックプールの6,160杯分に相当する15,400,000m3です。周囲は約20km、水深約22m、灌漑面積は3000haです。
 「萬農池後碑文」によると大宝年間(701年〜704年)に讃岐の国守、道守朝臣(みちもりあそん)の創築と伝えられているそうです。しかし弘仁9年(818年)に決壊し、朝廷の築池使路真人浜継(ちくちしみちのまひとはまつぐ)が復旧に着手しましたが、技術的な困難と人手不足によって改修ができず、国守、清原夏野の発議によって嵯峨天皇の命令で弘仁12年(821年)、空海が築池別当として派遣されました。空海が郷土入りをすると人々は続々と集まり、人手不足は解消した上、唐で学んだ土木学を生かし、わずか3ヶ月足らずで周囲2里25町(約8.25km)、面積81町歩(約81ha)の大池を完成させたそうです。朝廷は空海の功を賞して富寿神宝2万を与え、空海はこれを元に神野寺を池の畔に創建しました。
 その後も何度か洪水によって決壊、修復を繰り返したものの、1184年(元暦1年)5月1日の洪水によって堤防が壊れると、その後、約450年間、修理されないままになってしまいました。この結果、池の中に人が住み、「池内村」ができました。そして1628〜1631年(寛永5〜8年)頃、栗林公園の礎となる香川市の香東川の治水工事を行った西嶋八兵衛(にしじまはちべえ)が池を再構築しました。
 さらに1849〜1853年(嘉永2〜6年)にかけて、当時、樋管(ゆる)は木製であったため、何度も底樋、竪樋を取り替えなければならなかったため、長谷川喜平次が底樋を木製から石造りに変更しました。しかし1854年(安政1年)、大地震によって堤防が壊れてしまいました。その後、1869〜1870年(明治2〜3年)に高松藩の執政、松崎渋右衛門の支援のもと、榎井村の長谷川佐太郎や和泉虎太郎らが修理を行いました。その後もカサ上げ工事を何度か繰り返し、1940〜1959年(昭和15〜34年)の嵩上および土器川からの導水路工事(4,668m)を実施した結果、現在の貯水量になりました。
 満濃池は、2016年に国際かんがい排水委員会による「世界かんがい施設遺産」に四国で初めて選出されました。世界かんがい施設遺産は、歴史的、技術的価値のある潅漑(かんがい)施設を登録する制度です。







・満濃池(まんのういけ)
 住所:香川県仲多度郡まんのう町