道後温泉

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更新日:
 2016年9月3日



◎道後温泉(2016年6月10日)
 「道後温泉(どうごおんせん)」は四国、愛媛県松山市(旧、伊予国)に湧出する温泉で、「日本書紀」にも登場するわが国最古の温泉です。3,000年ともいわれる歴史を誇る道後温泉は、兵庫の有馬温泉、和歌山の白浜温泉と並んで日本三古湯の一つとされています。その存在は古代から知られており、古名を「にきたつ(煮える湯の津の意)」といい、「熟田津温泉(にきたつのゆ)」と呼ばれていたそうです。かつては、この周辺が温泉郡(湯郡)と呼ばれていましたが、これはこの温泉にちなむ地名です。この地域の旧国名「伊予国(いよのくに)」という名前も「湯国(ゆのくに)」が転じたという説があります。
 「道後(どうご)」の名前の由来は、飛鳥時代にまで遡ります。中大兄皇子(天智天皇)や藤原鎌足らが蘇我氏を倒した645年の大化の改新の後、現在の今治市付近に伊予国の国府が置かれました。国府付近を「道中」といい、「道中」よりも都(京)に近いところ(前)を「道前」、遠いところ(後)を「道後」と呼んだそうです。したがって「道後」は、現在の今治よりも南の地区に当たります。時代が下り、近世に入ってからは温泉の湧く地域を限定して「道後」と呼ぶようになり、この温泉地域を「道後温泉」と呼ぶようになったそうです。
 「古代伊予国風土記逸文(いよのくにふどきいつぶん)」には、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と「少彦名命(すくなひこなのみこと)」が伊予の国(いよのくに)に来た際、重病に罹った少彦名命を大国主命が掌にのせて道後温泉の湯であたためたところ、たちまち元気になって、石の上で踊ったと記されているそうです。
 万葉集(奈良時代末期)の「巻1-6」に軍王(いくさのおほきみ)の「山越乃風乎時自見寐夜不落家在妹乎懸而小竹樻(山越しの風を時じみ寝る夜おちず家なる妹をかけて偲ひつ)」という反歌が掲載されています。この歌の左注(解説)に「右、檢日本書紀、無幸於讃岐國。亦軍王未詳也。但、山上憶良大夫類聚歌林曰。記曰、天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、幸于伊豫温湯宮云々。一書云、是時宮前在二樹木。此之二樹斑鳩比米二鳥大集。時勑多挂稲穂而養之。仍作歌云々。若疑従此便幸之歟。」とあり、これは「右は、日本書紀を検ふるに、讃岐国に幸すこと無し。また軍王も未だ詳らかならず。ただ、山上憶良大夫の類聚歌林に曰はく「記に曰はく、『天皇十一年己亥の冬十二月己巳の朔の壬午、伊予の温湯の宮に幸す云々』といへり。一書に云はく、『この時に宮の前に二つの樹木あり。この二つの樹に斑鳩・比米二つの鳥さはに集まれり。時に勅して多く稲穂を掛けてこれを養ひたまふ。すなはち作れる歌云々』といへり」といへり。けだしここより便ち幸ししか。」という意味で、伊予の温泉(道後温泉)が登場します。
 また万葉集の「巻1-8」には額田王(ぬかたのおほきみ)が「熟田津尒船乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許藝乞菜」と詠んでいます。これは「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」という歌ですが、左注(解説)に「右、檢山上憶良大夫類聚歌林曰、飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑、九年丁酉十二月己巳朔壬午、天皇大后、幸于伊豫湯宮。後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔壬寅、御船西征始就于海路。庚戌、御船、泊于伊豫熟田津石湯行宮。天皇、御覧昔日猶存之物、當時忽起感愛之情。所以因製歌詠為之哀傷也。即此歌者天皇御製焉。但、額田王歌者別有四首。」とあり、これは「右は、山上憶良大夫の類聚歌林を検ふるに曰はく「飛鳥岡本宮に天の下知らしめしし天皇の元年己丑、九年丁酉の十二月己巳の朔の壬午、天皇・大后、伊予の湯の宮に幸す。後岡本宮に天の下知らしめしし天皇の七年辛酉の春正月丁酉の朔の壬寅、御船西征して始めて海路に就く。庚戌、御船、伊予の熟田津の石湯の行宮に泊つ。天皇、昔日より猶ほ存れる物を御覧し、当時忽ち感愛の情を起す。所以に歌詠を製りて哀傷したまふ」といへり。すなはちこの歌は天皇の御製なり。ただ、額田王の歌は別に四首あり。」という意味で、やはり伊予の湯が出てきます。万葉集には、これら以外にも7編ほど、道後温泉に関連した歌が詠まれていますので、奈良時代には有名な温泉であったと考えられます。
 全国の温泉場には、温泉の発見に由来する伝説が残っていますが、道後温泉にも言い伝えがあります。大昔、スネに傷を負って苦しんでいた一羽の白鷺(しらさぎ)が、岩の間から出ていた温泉を見つけ、毎日飛んできては足を浸していたところ、傷が完全に治り元気に飛び去っていったそうです。これを見ていた人達は、それを不思議に思いながら入浴してみると、気持ちが良い上に疲れがとれ、病人もいつしか回復することが分かり、温泉を盛んに利用するようになったという伝説です。このため白鷺が道後温泉のシンボルとされ、道後温泉本館の様々な場所に白鷺を模したものが飾られています。本館の上に乗っているのも白鷺です。
 道後温泉街は、その中央にある「道後温泉本館」を中心としています。「道後温泉本館」は1894年(明治27年)に改築された公衆浴場で、数度の増改築を繰り返しながらも改築当時の姿を留めています。夏目漱石の小説「坊つちやん」(1905年)にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっています。
 道後温泉本館の正面から市内電車の道後温泉駅まではL字型に続く道後温泉商店街があり、土産物店や飲食店などが軒を連ねています。L字の角のところに「椿の湯」があります。こちらも共同浴場ですが、料金は本館より安く、地元の人の利用が多いそうです。
 ちなみに「道後温泉」は道後温泉旅館協同組合の登録商標(商標登録番号、第5071495号)です。

・道後温泉本館







・椿の湯



・道後温泉本館
 住所:松山市道後湯之町5-6
 電話:089-921-5141
 営業時間:神の湯階下6:00~23:00
 定休日:無(12月に1日臨時休業あり)
 料金:神の湯階下410円
 駐車場:無
 アクセス:伊予鉄道、道後温泉駅から徒歩5分