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更新日:
2020年11月25日
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◎戎神社(えびすじんじゃ)(2017年11月5日)
「戎神社(えびすじんじゃ)」は桂浜の駐車場の脇にある桂浜駐在所の奥にある神社です。浦戸湾に面した桂浜の北側にあります。由来など、詳細は一切、不明ですが、Webでは、山内一豊が土佐藩に入府した時、これに反抗した長宗我部元親の家臣達を一掃するために、この戎神社の祭礼の相撲大会を開いて、彼らをおびき寄せ、一網打尽にしたそうです。
山内一豊は関ヶ原の戦いでの功績によって徳川家康から土佐一国を拝領しました。それまで長宗我部盛親が土佐を治め、浦戸城を居城としていました。徳川家康は井伊直政に浦戸城の接収を命じ、山内一豊に受け渡すように命じたそうです。そこで井伊直政は家臣の鈴木平兵衛、松井武大夫を城の受取役として土佐に派遣したそうです。
1600年(慶長5年)11月19日に浦戸に到着した一行に対し、長宗我部の家臣の態度は二分しており、一領具足と呼ばれる家臣団は城の明け渡しを拒否したそうです。一領具足とは、字義的には鎧を一着しか持たない人たちのこと(具足=鎧、一領=一着)で、普段は農業に従事し、有事は畑に案山子のように掛けた鎧を即座に着用して駆けつける半農半武の中世的な下級家臣です。
一領具足は長宗我部氏の領土を少しでも認めてほしいとの要求をして籠城をしようとしていたそうですが、城の明け渡しを主張していた重臣達が鈴木平兵衛を招き入れ、開城を約束したそうです。これを知った一領具足の勢力が浦戸城に押し寄せたものの打ち破られ、さらに追撃を受けたそうです。そして1600年(慶長5年)12月5日に鈴木平兵衛、松井武大夫が武器や兵糧米などを受け取り、浦戸城の接収が完了しました。この時、一領具足273人が討ち取られ、それらの首は浦戸の辻にさらされ、その後、塩漬けにされて大阪の井伊直政の元に送られたそうです。
山内一豊は1601年(慶長6年)1月に掛川から土佐に移封となり、浦戸城に入城しました。しかし、まだ領内には潜伏した一領具足がおり、山内一豊は、この勢力を粛正することを考えたそうです。そして1601年(慶長6年)3月1日、桂浜で相撲興行を催し、士民に観覧させたそうです。これ見物に集まった人達の中から、先の抵抗に関与した一領具足73人が捕らえられ、種崎(浦戸湾を挟んだ対岸)で磔に処したそうです。この一連の一領具足の反抗は「浦戸一揆」と呼ばれているそうです。これ以降、長宗我部旧臣の抵抗は沈静化したそうです。
・一の鳥居

・二の鳥居

・お社

・多分、狛犬
現在では、風化が進み、その形が分かりませんが、お社前に左右、対になって置かれているので、元は狛犬だったのではないかと思います。


・戎神社(えびすじんじゃ)
住所:高知県高知市浦戸779
アクセス:JR、宇和島駅から車で約20分
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