橿森神社(かしもりじんじゃ)

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更新日:
 2021年6月6日




◎橿森神社(かしもりじんじゃ)(2020年4月11日)
 橿森神社(かしもりじんじゃ)は、岐阜県岐阜市若宮町にある神社です。御祭神は市隼雄命市隼雄命(いちはやおのみこと)で、創建は第十二代景行天皇の御代です。市隼雄命市隼雄命は、第11代、垂仁天皇(すいにんてんのう、崇神天皇29年1月1日〜垂仁天皇99年7月14日)の長男で、第12代、景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年〜景行天皇60年11月7日、日本武尊(ヤマトタケル)の父)の兄である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)と景行天皇の第六皇女で渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)の間の子です。五十瓊敷入彦命は、同じ岐阜市内の伊奈波通りにある伊奈波神社に主祭神として祀られており、渟熨斗姫命は同じ岐阜市内の金神社(こがねじんじゃ)に主祭神として祀られています。
 橿森神社は1600年(慶長5年)に兵火、1649年(慶安2年)に火災と両度の難に遭ったと言われているそうです。1706年(宝永3年)の地図では、現在の美園町と若宮町の十字路付近が参道の入口で、西一帯は田となっているそうです。地図には、美園の「榎」が示されているそうです。「岐阜総構の内は内町、構の外は外町、南へは美園にて「市立市神」として今に榎あり」と江戸時代の資料に示され、織田信長が美園で開いた楽市楽座の楽市神社がこの木の下に祀られたとされています。
 現在、橿森神社前の榎は、岐阜市の史跡として指定されていますが、美園の榎の孫に当るそうです。1878年(明治11年)10月、明治天皇御幸のため道路改修が行なわれた際、現在地に移植されたそうです。この榎は神木化され「イボ」に対する民間信仰の対象となっているそうです。
 橿森神社は恋愛成就、家庭円満、安産祈願、夫婦和合、こどもの神様として有名だそうです。また、橿森神社の境内には建勲神社、通称「岐阜信長神社」があります。















・御園の榎
 1567年(永禄10年)9月、織田信長は稲葉山城を攻略し、美濃国の支配を実現しました。これにより信長は天下統一に向けての意思を明確にし、領国経営に乗り出しました。16世紀前半、すでに上加納村には楽市場が存在していましたが、信長は制札を与え、商工業者の保護、育成策を打ち出し(楽市楽座)、その権利を認めました。
 この榎は、楽市座(上加納村御園)に市神として存在していたものだそうです。ただし、その榎は1852年(嘉永5年)に枯木となり、植え直されたそうです。さらに1878年(明治11年)10月、明治天皇御幸のため道路改修が行なわれた際、現在地に移植された榎で、美園の榎の孫に当るそうです。岐阜市の史跡として指定されています。





・橿森神社(かしもりじんじゃ)
 住所:岐阜県岐阜市若宮町1-8
 電話:058-246-0125
 定休日:無
 駐車場:無
 アクセス:名鉄、岐阜駅から徒歩約16分