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更新日:
2021年6月6日
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◎元伊勢 籠神社(もといせ このじんじゃ)(2021年4月11日)
元伊勢籠神社(もといせ このじんじゃ)は奈良時代に丹後の一宮となった、丹後で最も格の高い古社です。京都府宮津市にある神社です。「籠(かご)」を「こ」と読み、「このじんじゃ」という名称です。ご祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫、彦火明命(ひこほあかりのみこと)です。彦火明命が竹で編んだ籠船に乗って海神の宮(龍宮あるいは、常世とも呼びます)に行かれたとの故事により、社名を「籠宮(このみや)」と云うと伝えられているそうです。
「元伊勢(もといせ)」とは、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的に祀られたという伝承を持つ神社、場所のことです。天照大神、豊受大神が伊勢神宮に鎮まる前に真名井原の地(籠神社の奥宮)に4年間、祀られていたことから「元伊勢」と呼ばれています。元伊勢伝承はいくつかあり、元伊勢とつく神社は他にもありますが、天照大神が真名井原の地から現在の伊勢神宮の地に移ったという伝承があり、元伊勢の中でも格式が高いとされ、「伊勢のふるさと」とも呼ばれているそうです。
籠神社の歴史は神代と呼ばれる遠くはるかな昔にまで遡るそうです。籠神社の奥宮がある地、眞名井原に豊受大神(とようけのおおかみ)をお祀りする匏宮(よさのみや)があったそうです。ある時、宮中に祀られていた天照大神(あまてらすおおみかみ)が新しい居住地を探して全国を旅しました。一度は倭国、笠縫邑(かさぬいむら)に落ち着きましたが、第10代、崇神天皇の御代に豊受大神がおられる縁からこの地に遷り、豊受大神と共に吉佐宮(よさのみや)という宮号で4年間暮らしたそうです。その後、天照大神は第11代、垂仁天皇の御代に伊勢にお遷りになりました。その約450年後の第21代、雄略天皇の御代に豊受大神は天照大神に呼ばれ、伊勢にお遷りになりました。この故事により、籠神社は伊勢神宮内宮の元の宮、伊勢神宮外宮の元の宮という意味で「元伊勢」と呼ばれているそうです。
両大神が伊勢にお遷りの後、719年(養老3年)に本宮を奥宮、眞名井神社(吉佐宮)の地から、現在の籠神社の地へとお遷して、社名を吉佐宮から「籠宮(このみや)」と改め、天孫彦火明命を主祭神としてお祀りするようになったそうです。元々の「匏(よさ)」、「吉佐(よさ)」という名称は、「与謝野町」や「与謝の海(阿蘇海)」という地名になり、現在まで受け継がれています。
籠神社の本殿は、伊勢神宮と同様の神明造りで、勝男木は十本、千木は内そぎになっています。伊勢神宮の内宮正殿は「唯一神明造」と称され、同じものを作ることは許されていません。籠神社の社殿は、伊勢神宮内宮の正殿に最も近い形式だそうです。また、江戸時代末期までは遷宮(せんぐう)も行われていたそうで、現在の建物はその江戸末期のものだそうです。
1931年(昭和6年)に本殿下を調査した結果、鎌倉時代から今と同じ大きさだったことが分かっています。ここまで規模、様式ともに伊勢神宮の内宮正殿に近似しているものはなく、いかに伊勢神宮と深い繋がりがあったかを物語っています。
高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉(すえたま)は、伊勢神宮正殿と籠神社以外には見られないもので、神社建築史上、非常に貴重なものとされています。
また、神門前の石造狛犬一対は鎌倉時代の名作で、狛犬としては珍しく国の重要文化財に指定されています。その昔、狛犬に作者の魂が籠もり、天橋立に出ては暴れ、通行人を驚かせていたそうです。父の仇討ちのため、この地を訪れていた剣豪、岩見重太郎がその話を聞いて待ち伏せし、狛犬の脚に一太刀浴びせたところ、社頭に戻り、魔除けの狛犬として霊験あらたかになったという伝承があるそうです。このため向かって右側の狛犬の右前脚には、その時の刀傷が残っているそうです。岩見重太郎は安土桃山時代から江戸前期にかけて活躍した剣豪で、諸国を漫遊しながら各地で狒々(ヒヒ)や大蛇を退治し、父の仇を宮津の天橋立で討ったといわれているそうです。













・元伊勢 籠神社(もといせ このじんじゃ)
住所:京都府宮津市字大垣430
電話:0772-27-0006
営業時間:7:00〜17:00
定休日:無
料金:無
アクセス:京都丹後鉄道、天橋立駅から路線バスにて約25分
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